SCENE in the pen. 106

“Red-clawed  Crab”

I went to see the adder’s tongue ferns at the shrine in Okuda. There were about 100 of them in total. A red-clawed crab was walking around the wall. They live in holes they have dug in the ground. In summer, the females gather on the shore on nights of spring tides to lay their eggs. [JUNE 2026]

Chiromantes haematocheir

 

美浜町奥田にある神社にコヒロハハナヤスリを見に行くと、アカテガニが穴から出ていました。アカテガニは、普段は陸上で生活していますが、夏の大潮の夜、産卵のため海岸に集まります。

 

<Traduction en français>

SCÈNE dans la pen. 106  “Le crabe aux pinces rouges”

Je suis allé voir les fugères serpent langue au temple d’Okuda. Il y en avait environ une centaine au total. un crabe aux pinces rouges marchait le long du mur. Ils vivent dans terriers creusés dans le sol. En été, les femelles se rassemblent sur la côte les nuits de marée haute pour pondre leurs œufs. [JUIN 2026]

 

ルーツ・オブ・ソルト(下)

年魚市潟(あゆちがた)は、かつて、熱田の南から知多半島の付け根にかけて広がっていた干潟。万葉集にも詠われている。「年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝こぐ舟も沖による見ゆ」「桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る」。桜田は、名古屋市南区に地名が残る。年魚市潟は、名古屋市緑区の鳴海の宿では、鳴海潟とも呼ばれていた。

知多半島の塩田というと、三河湾側の東浦町での塩づくりがよく知られている。平安時代から知られた生道塩(いくじしお)の産地とされ、江戸時代には知多半島と西三河の境である境川沿いに塩田が広がっていた。対岸の吉浜との渡しがあった藤江にも塩田があったが、西三河と同じように東浦町の塩田も、19世紀から20世紀へと流れる時代において、水田になっていった。

伊勢湾側はどうかというと、東海市にも海沿いに塩田があったようだ。鳴海から知多半島西側の海沿いを通って南知多町大井に至る、常滑街道という道がある。常滑街道沿いの横須賀にある諏訪神社には、「年魚市潟潮干にけらし~」の江戸時代の歌碑があるが、すぐそばの地名に高横須賀塩田とある。江戸時代、干潟と塩田の風景に心惹かれた人が、さらに1000年の昔に、同じように年魚市潟の風景に心惹かれた万葉歌人の歌を残したいと思ったのだろう。境内に祀られている香良洲(からす)神社も干潟に縁のある神社。

熱田区、南区、緑区、東海市。年魚市潟がどれだけ広かったかが、よく分かる。忘れてはいけないのは、荒立つ波の海ではなく、穏かに波が寄せ、満干を繰り返す潟ということ。現在、日本全国を見渡しても、広い干潟が見られる場所は、ごくわずかである。

塩付街道は、御器所辺りから南下する。熱田台地から見ると、真東になる。この街道は、笠寺台地と呼ばれる緩やかな台地の上にある。笠寺台地には、旧石器時代に始まり、弥生時代から古墳時代にかけて大きなムラが栄えた見晴台(みはらしだい)遺跡がある。名古屋市見晴台考古資料館では、遺跡の成り立ちや、市内の遺跡の発掘情報などを知ることができる。

見晴台からもう少し南下したところ、笠寺台地の縁にある星崎が街道の終点であり、塩の道としては始点となる。塩付街道は、この星崎周辺の村々に暮らす人たちが、年魚市潟でつくった塩を伊那谷に運ぶための道なのである。

江戸時代の尾張名所図会に「星の宮」として描かれている星宮社は、星崎の旧村社である古い社。創建年代は、よく分かっていないようだが、飛鳥時代とも言われるそうだ。尾張名所図会をよく見ると、社の裏手の小高い丘に「イナツチヲキナノ社」と記されている。イナツチヲキナは、伊奈突智老翁と書くそうで、名古屋市の公式ウェブサイトには、「縁起によればこの地に塩づくりを教えた人である」と説明されている。

伊那は、伊奈とも書く。文字から素直に考えたら、「伊奈から来た土のことをよく知る翁」ということではないだろうか。つまり、江戸時代に名所図会に描かれるほど、美しく広大な塩田風景のルーツとなった製塩技術をこの土地の人びとに伝えたのは、伊那谷から来た人だったと考えられる。自然の恩恵をかたちにする技術を、土地の人びとに伝授した人が、感謝の気持ちとともに神社に祀られるというのは、越前に紙漉きの技術を伝えた岡太(おかもと)神社の川上御前をはじめ、各地によく見られる。

そうなると、伊那谷には塩水から塩をつくる技術があったということになるが、思い出されるのは、大鹿村の塩。大鹿村のある中央構造線の谷には、塩水が湧き出る場所がいくつもある。近隣の遺跡からは、製塩土器も発掘されている。

ここまでが、フィールドワークと資料から見えてきた事柄をつなぎ合わせて考えた、塩についての思索である。古の海と山の民について考えられることは他にもあるが、筋道を立てて書くには、もう少し確認が必要になるので、そろそろ終わろうと思う。

なぜ老翁が星崎にやってきたのか、いつやってきたかは、私には知る由も無いけれど、思うのは、山と海の民の交流に主従関係は無かったのではないだろうか。自然の理をよく知っていて、村が豊かになる仕事を生み出してくれた山に住む人びとへのお礼から始まったのが塩の道だったのではないかと思う。争いに明け暮れた為政者の栄枯盛衰は、後世まで饒舌に語られるけれども、多くを語らない善意による交流が忘れ去られていくのは、世の常。そのような古の善意の欠片を、足を使って拾い集め、つなぎ合わせてみる。すると、語り継がれる歴史に寄り添う人間本来の精神文化が、浮かび上がるのではないだろうか。

 

 

ルーツ・オブ・ソルト(中)

今年の2月。ざぜん草を見るために嵯峨坂の自生地を訪ねた後、昨年、時間が足らず入ることが出来なかった飯田市考古資料館を、あらためて訪ねることにした。

飯田市考古資料館は、上郷(かみさと)地区にある。この周辺は、縄文時代から弥生時代の遺跡が密集しており、今も新しい発見が続いている。また、5世紀後半~6世紀前半にかけて造られた前方後円墳、帆立貝形古墳は、飯田古墳群として史跡指定されていて、全国の流れに違わず、この地にもヤマト王権による政治支配が及んでいたことが想像される。

古墳群が造られた時代の以前はどうかと言うと、4~5世紀の遺跡では、東海地域との繋がりが強いとされる前方後方墳が、3基確認されている。多くの墓は方形区画で盛り土が低いものであるため、弥生時代の暮らしがそのまま続いていたと考えられている。

展示室に入り、目を引くのは、野底山(のそこやま)で発見されたヒノキの古木。年輪年代法の結果、弥生時代のものということが分かっていて、近づくと、ほのかに匂いがする。弥生人も嗅いだヒノキの匂いを嗅ぎながら、伊那谷に人が住み始めたのは、いつからだろうと思う。答えはすぐに、展示解説が教えてくれた。3~5万年前。つまり旧石器時代からである。

飯田山本では、竹佐中原(たけさなかはら)遺跡、石子原(いしこばら)遺跡という旧石器時代の遺跡が隣り合って見つかっている。二つの遺跡は、同じ旧石器時代の遺跡なのだが、成立していた時代が異なる。それは、石器の材料となっている石の違いから分かる。石子原遺跡から見つかった石器は、赤石山脈の石が使われている。赤石山脈は、少し離れた天竜川を越え、伊那山地も越えた、さらに先。遺跡付近では採取できない。天竜川近辺から持ってきたのだろうと考えられている。一方、竹佐中原遺跡は、出土する石器の傾向によって遺跡Ⅰ、遺跡Ⅱと分類される。Ⅰの石器には遺跡から少し南に下った阿知川で採取されたと考えられる、ホルンフェルス(変成岩の一種)という石が使われている。Ⅱはより進んだ石器文化で、Ⅰでは見られない黒曜石を用いた局部磨製の石器や、石器を研いだ砥石も見つかっている。

人類が日本列島に至り定着するまでの流れを大まかに整理してみると、現生人類の祖先、ホモ・サピエンスの最も古い化石は、20万年前のものである。アフリカで暮らしていた人類は、5~6万年前に一部の集団がアフリカを出る。ユーラシア大陸を東進した人類は、大陸の端にたどり着く。最終氷期に海水面が低下したため、シベリアから地続きになっていた日本列島に入り定着したのは、およそ3万年前とされている。石器を改良しながら、狩猟採集を続けた人類は土器を作るようになり、その模様から縄文人と呼ばれ、日本独自の文化を生み出していった。集落を作り、貝塚を形成し、集団生活を営んでいた縄文人は、3000年ほど前に日本列島にやってきた弥生人たちとも交流を始める。そして文化や技術が混ざり合い、狩猟採集と稲作、両方からの恵みを享受する生活様式が確立されていく。

下伊那地域では、約5000年前、縄文中期の大規模集落や、拠点集落が数多く見つかっている。弥生時代の遺跡も含めると、約550か所。天竜川流域は河岸段丘なので、川のそばの低位段丘には弥生遺跡が分布しているなど、土地を活かした集落形成が見て取れる。

つまり、伊那谷という土地は、日本列島に人類が定着した最初期から人の営みがあり、現在に至るまで、脈々と暮らしがつながっている地域。縄文人・弥生人のルーツという点は、諸説あるだろうが、土地に常に人がいて、他地域と交流しながら、独自の文化を築き上げた土地であることは確かだろう。椋鳩十が魅かれた山の民・山窩についても、考古学的観点から考えてみると、どのような人々だったのか、より具体的に見えてくるかもしれない。

江戸時代、尾張・三河で作られた塩は、山間部の文化圏である伊那谷に運ばれていた。人びとの交流が始まったのは、いつ頃からなのだろう。知多半島の小桝遺跡、西三河の南霞浦遺跡で塩がつくられていた頃から、伊那谷にも運ばれていたのだろうか。

伊那谷から名古屋へ向かう塩の道を、運ぶときと逆向きに辿ってみる。伊那谷から足助までは、平谷、根羽、稲武を通る。根羽、稲武は古代、西三河の加茂郡に含まれていたそうなので、西三河は、ずいぶん広かったようだ。足助からは、巴川沿いには進まず、山の裾へ下りていくと、力石に出る。矢作川沿いを豊田市の中心地である挙母まで行き、濃尾平野を西へと進む。名古屋市天白区の平針を通って、天白川をわたり、観察会をしている八事裏山、音聞山を越えると川名に出る。塩の道は、ここで塩付(しおつけ)街道と交わる。〈下に続く〉

 

 

ルーツ・オブ・ソルト(上)

塩について考え始めたのは、いつ頃からだろう。記憶の糸を手繰ってみる。

5~6年前、南知多町内海のつぶて浦で、磯の生きものの観察会をしていたとき、岩場の潮溜まりで、6~7センチくらいの棒状の土器の欠片を拾った。観察会に参加されていた方に、「製塩土器じゃないですか」と教えてもらい、知多半島では古代、海岸で塩づくりが行われていたことを知った。

東海市郷土資料館には、「知多式」と呼ばれる製塩土器が展示してある。見つけた土器の欠片を持って資料館を訪ねると、「きれいな状態ですね」と言われ、製塩土器や塩づくりのことを教えてくださった。拾った土器の欠片は、ろうとのような形をしている製塩土器の椀の下の棒状部分。棒状の部分があることで、砂地に土器を差し込んで安定させた。つぶて浦のすぐそばには、古墳時代から平安時代にかけての小枡(こます)遺跡があり、須恵器や製塩土器が、多数見つかっている。知多の海岸でつくられた塩は、奈良の都に税として納めるために運ばれていた。つぶて浦では、製塩土器の一部がよく見つかるそうだ。拾った土器は、日付を記した袋に入れて保管してある。

昨年の春、西尾市にある吉良饗庭塩(あいばじお)の里を訪ねることにした。その頃は、塩の道について調べていて、尾張・三河から伊那谷へつながる塩の道は、いくつかあることを知った。ただ、それよりもまず、そもそも塩は、海沿いのどこら辺で、どのようにして作られ、伊那谷まで運ばれて来るのだろうと思い、塩づくりについて知ることができる資料館を探していたところ、西三河の海沿いにあるこの施設を見つけたというわけである。

西尾市までは、まず新堀川をわたり、南区へ入り、国道23号線に乗る。星崎、大高、豊明を通過すると、西三河に入る。刈谷市、知立市、安城市を通過して、矢作川をわたると西尾市。伊那谷方面から続く三河山地の果て、幡豆(はず)山塊がすぐそばに見える。小山の緑を眺めながら田んぼの広がる道を行くと、海が見えてきて、塩の里があった。

西尾市の市域は広く、この辺りは、旧吉良町になる。吉良というと、吉良上野介が思い浮かぶ。一緒に来た方と話をしていると、「赤穂浪士の討ち入りも塩が原因でしたよね」と言われ、なるほどと納得する。赤穂は、瀬戸内の塩の産地。現在の自治体名で言うならば、兵庫県赤穂市。瀬戸内の塩づくりの起源は古く、弥生時代の藻塩(もしお)焼き(藻塩法とも言い、海藻を利用して塩をつくる)に始まる。知多半島で出土する知多式製塩土器も、形状からルーツは瀬戸内の製塩土器とされている。弥生から古墳時代へと時代が下るにつれて、製塩技法は伝播し、北は北陸、東では知多半島、渥美半島に伝わったというのが定説である。

西三河では、塩は入浜式(いりはましき)と呼ばれる塩田でつくられていた。入浜式塩田は、江戸時代に考案された大規模な塩田による塩づくり方式。潮の干満を利用し、海水を塩田に取り込む。潮が引き、水分が乾くと、塩の結晶が砂に付着する。その砂をオシエブリ、カキエブリと呼ばれる道具でつぼにかき集める。かき集めた砂に海水を掛けて、より濃い海水を採り、煮詰めると、塩ができる。入浜式は、潮の干満が一定で穏やかだからできる。三河湾、伊勢湾などの内海に面した地域は入浜式だが、波の荒い遠州灘沿岸では揚浜式(あげはましき)塩田になる。揚浜式は、人力で海から海水を汲み上げてきて、塩田に海水を撒く。

吉良でつくられた塩は伊那谷にも運ばれていた。山間地へと運ぶためには、矢作川、矢作古川を利用する。上流の巴川流域の平古あたりまで運び、陸路で、飯田街道の宿場である足助に運び、稲武、根羽を通って、阿智、そして飯田へと運ばれた。

江戸時代に各地で繁栄した塩田だが、明治後半から昭和の初めにかけて、全国の塩田が整理、廃止された。米の生産を増やすため、各地の塩田は水田へと姿を変えていった。

この辺りの古代の塩づくりはどうだったのか考えてみる。現在の矢作川下流域、碧南市にある南霞浦(みなみかほ)遺跡では製塩土器が見つかっている。遺跡は6~7世紀、古墳時代のものと考えられており、知多半島と渥美半島の土器の特徴があらわれているそうだ。知多、渥美の人びとと交流しながら、より良い塩づくりを模索していたのだろうか。矢作川の流路は、江戸時代に現在の流路に変更されていて、それ以前の海へ至る流路というのは、ずいぶん複雑だったようで、昔の河道跡が調査されている。その頃から川を使って山間地域にも塩が運ばれていたのだろうか。〈中に続く〉

 

 

モンテッソーリ読書会(6月)のお知らせ

6月のモンテッソーリ読書会のお知らせです。

この読書会で取り上げる本は、「人間らしき進化のための教育」(マリオ・M・モンテッソーリ著、周郷博訳/ナツメ社、1978)。マリア・モンテッソーリの孫であり、国際モンテッソーリ協会の常任顧問をつとめられた、マリオ・M・モンテッソーリ・ジュニアの講演録をもとにした本です。今回は「第1章 マリヤ・モンテッソーリのしごと」を読み解きます。

後半は「現代の子どもたちを取り巻く環境について考える」と題して、話し合います。当日資料は、開催日の数日前までにメールでお送りします。

 

〇日程/2026年6月14日(日)13:00~16:30

〇場所/北生涯学習センター・第6集会室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「黒川」駅下車。4番出口より徒歩3分。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 北生涯学習センターの場所

〇内容/①読解「第1章 マリヤ・モンテッソーリのしごと」(90分) ②話し合い「現代の子どもたちを取り巻く環境について考える」(60分)

〇備考/・入手困難な本ですので、参加のご連絡をいただいた方へ、コピーを郵送します。コピー代として1500円(送料込み)を当日お支払いください。・話し合った内容は、後日、まとめた資料をお送りします。当日会場に来ることが難しい方にも分かるように進めていきますので、興味のある方は、是非ご参加ください。

 

※参加のご連絡は、mail(at)hanayasuribooks.com(相地透)にお願い致します。テキストがお手元に無い方は、送付先ご住所をメールに記載してください。

 

ヘイケボタルの観察会

「ヘイケボタルの観察会」のお知らせです。ヘイケボタルは、田んぼなどにあらわれ、人の生活に身近なホタル。幼虫は、7月頃に孵化し、およそ10カ月の水中生活を経て、成虫になります。近年、幼虫が暮らす水辺環境(水の張った田、水路の止水)が少なくなり、かつてに比べて、生息地は激減しています。田の水面を緑の光を明滅させながら飛ぶヘイケボタルを観察し、その生息環境について考えます。この後、知多半島での観察会は、9月までお休みになります。たくさんのご参加、お待ちしております。(写真は、2025年6月撮影)

 

〇日程/2026年6月6日(土) ※雨天中止

〇時間/19:30集合~21:00頃、終了予定 ※30分ほど延長することがあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/美浜町・恋の水神社駐車場 地図はこちら

※自動車の場合は、「恋の水神社」駐車場にお越しください。知多半島道路「美浜IC」を出て5分ほどです。

※電車の場合は、最寄りが「知多奥田」駅になります。19:13着(内海行き)の列車でお越しいただけましたら迎えに行きますので、その旨お知らせください。駅からは車で5分ほどです。

〇費用/無料

〇その他/トイレは、恋の水神社にあります。歩きやすい靴でお越しください。やぶ蚊の対策をお願いします。メモを取る場合は、手元を照らすライト、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

参加のお申し込みはこちら

 

SCENE in the pen. 105

“Click Beetle”

Come May, orchids that don’t perform photosynthesis appear in the woods. A little earlier, spring cicadas are chirping high up in the pine tree. On the low tree at the edge of the woods, Owl moth’s caterpillar are busily eating the leaves. As I looked at the grassy field, I spotted a click beetle on a stem of a Erigeron annuus. [MAY 2026]

Cryptalaus larvatus

 

5月になると雑木林の林床には、光合成をしないランの仲間、ムヨウランがあらわれます。少し早く、松の木ではハルゼミが鳴きます。草むらを観察していたら、ヒメジョオンの茎にフタモンウバタマコメツキがいました。

 

<Traduction en français>

SCÈNE dans la pen. 105  “Taupin”

Dès le mois de mai, des orchidées qui ne font pas photosynthèse font leur apparition  dans la forêt. Un peu plus tôt, les cigales chantent tout haut de pins. Sur un petit arbre à l’orée de la forêt, Une chenille de papillon aux yeux de chouette est en train de dévorer une feuille. En regardant, dans les herbes, j’ai aperuçu un taupin posé sur la tige d’Erigeron annuus. [Mai 2026]

 

6月・7月の観察会スケジュール

日中暑くなってきました。6月、7月の観察会スケジュールのお知らせです。

 

<6月の観察会スケジュール>

「ヘイケボタルの観察会」

日時:6/6(土) 19:30~21:00

場所:美浜町奥田・恋の水神社

◇美浜町の田んぼでは、この時期、ヘイケボタルがあらわれます。かつては、人々の生活にとても身近なホタルでしたが、生息環境の変化により、自生地は激減しています。緑色の光をゆっくりと明滅させながら、田んぼの水面を飛ぶヘイケボタルを観察します。

内容の詳細はこちら

 

「第1回 モンテッソーリ読書会」

日時:6/14(日) 13:00~16:30

場所:名古屋市北区・北生涯学習センター

◇昨年12月に準備会を開催したモンテッソーリ読書会。6月の会場は、名古屋市北区の北生涯学習センター(地下鉄「黒川」駅、4番出口より徒歩3分)になりました。テキストの「第1章マリヤ・モンテッソーリのしごと」を読んで、ご参加ください。まだテキストを入手していない方は、お早めにご連絡ください。

内容の詳細はこちら

 

「第32回 西味鋺観察会」

日時:6/27(土) 10:00~12:00

場所:西味鋺コミュニティセンター

◇今回は、矢田川水辺の広場で、水生昆虫など生きものを探します。小魚やヤゴなどを捕まえて、飼ってみたいという方は、虫かごやバケツなど容器を準備して、ご参加ください。

※参加のご連絡は、mail(at)hanayasuribooks.comにお願いします。

 

<7月の観察会スケジュール>

「第16回 椋鳩十を読む会」

日時:7/18(土) 11:00~12:00/13:30~16:30

場所:CORE SELDOM(芸音)/昭和生涯学習センター

◇午前の部は、スタジオで歌の練習をします。午後の部の課題図書は、今回も「孤島の野犬」より「消えた野犬」を読みます。「椋鳩十の野犬物語」(理論社)に収録されています。「孤島の野犬」3部作は、「椋鳩十全集(5)孤島の野犬」(ポプラ社)、「孤島の野犬」(偕成社文庫)で読むことが出来ます。「椋鳩十と戦争」は、「第7章」(孤島の野犬の章)を読みます。

※内容の詳細は、6月下旬に掲載します。

 

ヒメボタルの観察会

「ヒメボタルの観察会」のお知らせです。ヒメボタルは、5月にあらわれ、雑木林の内外などで飛翔発光します。月明かりの下、金色の光を点滅させながら雑木林や草むらを飛ぶ姿からは、昼間の雑木林とは異なる夜間の生命の営みを実感できます。夜遅い時間の観察になりますが、興味のある方は、是非ご参加ください。(写真は、2024年5月撮影)

 

〇日程/2026年5月23日(土) ※雨天中止

〇時間/21:30集合~23:00頃、終了予定 ※30分ほど延長することがあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/東海市・姫島八幡神社 地図はこちら

※当日は2か所観察します。集合場所への行き方は、参加のご連絡をいただいた後、ご案内します。

〇費用/無料

〇その他/トイレは、ありません。歩きやすい靴でお越しください。メモを取る場合は、手元を照らすライト、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

終了しました。ご参加いただきありがとうございました。

 

月刊「HANAYASURI」の発行について

復刊を目指しております、月刊「HANAYASURI」は、予約者数が目標に達しなかったため、本年度の刊行はありません。2027年4月の復刊に向けて、引き続き取り組んで参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

所属されている会などで、購読を取りまとめてくださる方がございましたら、大変有難く存じます。冊子のサンプルがご入用の場合は、お気軽にご連絡ください。

 

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