20日(日)に、半田市で開催した「鳴く虫の観察会」の様子が、地元ケーブルテレビで放送されます。
番組名は「CACかわら”番”」。放送日は9月23日(水・祝)。初回は16時からです。再放送が、当日3回、24日(木)午前中に3回放送されます。
サービス提供エリアは、半田市・阿久比町・武豊町の一部です。エリア内にお住まいで、ケーブルテレビに加入されている方は、ご覧いただけますと幸いです。
20日(日)に、半田市で開催した「鳴く虫の観察会」の様子が、地元ケーブルテレビで放送されます。
番組名は「CACかわら”番”」。放送日は9月23日(水・祝)。初回は16時からです。再放送が、当日3回、24日(木)午前中に3回放送されます。
サービス提供エリアは、半田市・阿久比町・武豊町の一部です。エリア内にお住まいで、ケーブルテレビに加入されている方は、ご覧いただけますと幸いです。
観察会が近づくと、大体十日くらい前から天気予報をチェックしはじめる。当日の前後が晴れマークになっていれば、おおむね開催できる。判断が難しいのは、台風が来ているときと、曇りに雨マークが付いているとき。なるべく直前まで開催することを考えるのだけれども、早めに中止した方が、参加する方たちが予定を変更しやすいということもある。今年は夏を通して、台風の発生、本州への影響が多かった。それと、降るときと止むときの予測がつきにくい長雨。思い返すと、昨年、「雷が鳴るのを最近聞かないね」と話していたけれども、今年は何回も激しい雷を聞いた。年のはじめには、雨がまったく降らず、春先にはダムが渇水状態になっていた。今は、都市部の排水が追い付かないほどの大雨。
9月4日。鳴く虫の観察会の前日。予報は、曇りときどき雨だった。悩んだ結果、雨が降る可能性もあるし、雨が止んでも、この後、数日以上雨マークが続いているので、湿度も高くなるだろう。鳴いている虫の数も少ないだろうと、延期の連絡をメールした。
ところが翌日は、気温も下がって涼しく、少し風のある絶好の観察会日和となってしまった。残念。しばらく落ち込んだが、決めてしまったので仕方がない。鳴く虫の観察会は、今月20日と23日に開催するので、今度こそ、すっきり秋晴れになると良いなと思う。
気持ちを切り替えて、この日は、20日に開催する矢勝川での鳴く虫の観察会の下見をすることにした。矢勝川では昨年の下見のときに、タイワンクツワムシの音を聞いている。その確認も兼ねて、日が暮れる頃、半田市に向かった。
車を降りると、すっかり夜。童話の森から、アオマツムシが「リーリーリーリー」とにぎやかに鳴いているのが聞こえる。記念館西側の道路の向かいの草むらで「ジャッ、ジャッ」と大きめの音が聞こえた。タイワンクツワムシ。こんなにすぐに聞こえるとは思わなかった。タイワンクツワムシは、局所分布する。いる場所にはいるのだが、その場所を中心に広がりをもって生息しているわけではなく、狭い範囲にかたまって生息している。大きさはクツワムシと同じくらいか、やや大きくて、褐色。知多半島では、阿久比の田んぼにそれなりの数がいるほか、数か所、生息地がある。名古屋では、天白川沿いにいるそうだ。ちなみに、熱田にはいない。これだけ早く出会えたということは、もう少しいるだろうと、矢勝川沿いを歩くと、民家の隣りの茂みや、川沿いの茂みなどでガシャガシャ鳴いていた。
観察会で歩くコースには、思った以上にたくさんの鳴く虫がいた。代表的なコオロギ類であるエンマコオロギ、ミツカドコオロギ、ツヅレサセコオロギ、ハラオカメコオロギ。それらと姿は似ているが、初夏から鳴く音が聞こえるタンボコオロギ。童話の森だけでなく、ハンノキでも盛んに鳴いているアオマツムシ。「チン、チンチロリン」と鳴くマツムシは、アオマツムシとはまったく別の種。木の上ではなく、草むらで鳴いている。スズムシは、盛夏に鳴くので、9月は生を終える時期。この日は、音のかすれたスズムシが一頭だけ鳴いていた。「ルーーーー」と断続的に鳴くカンタンもいくつか聞くことができ、姿形はほとんど同じだが、「ビーーー、ビーー、ビーーー」と切れながら鳴くヒロバネカンタンの音も聞こえた。ヒロバネカンタンは歩きながら鳴く。とても小さなヒバリモドキ科のコオロギでは、春から聞くことができるキンヒバリと、シバスズ、ヒゲシロスズがいた。
キリギリスの仲間はというと、まずは「シリリリッ」と鳴くヒメギス。田んぼ近くの草むらなどにいて、初夏に茶黒いからだの幼虫をよく見かける。ササキリの仲間では、ホシササキリとウスイロササキリが鳴いていた。「シャッ、シャッ、」と切れながら鳴き始め、「シャシャシャシャ……、シャーツ、シャーツ、シャーツ」と終わる、鳴き方に一連の流れがあるセスジツユムシ。「ジーーーー」と大きい音で鳴く虫の仲間は、いくつかいるのだが、ここではクビキリギスとクサキリが鳴いていた。コオロギでもキリギリスの仲間でもない、ケラも田んぼ近くの地面で「グルーーー」と低い音を立てていた。記念館敷地内の木の上で、アオマツムシに負けじと鳴いていたカンタンをいれて、この日聞こえた虫の音は、22種。
昨年、一昨年に童話の森や矢勝川周辺で聞いて、この日は聞けなかった虫がいる。それら(キリギリス、マダラスズ、ヤブキリ、オナガササキリ、ハタケノウマオイ)を足すと、27種。この矢勝川周辺が多様性のある鳴く虫環境であることが分かった。20日、今よりも秋めいた矢勝川では、何種類の虫の音が聞こえるだろうか。月はきれいだろうか。


あらためて「鳴く虫の観察会」のお知らせです。9月後半に、半田市と阿久比町の二か所で観察会を行います。
9月20日(日)は、半田市・新美南吉記念館「童話の森」に集合しての観察会です。今年も南吉や、南吉に近しい文学とともに虫の音に耳を傾けます。
9月23日(水・祝)は、阿久比町役場に集合し、近くの田んぼで虫の音を聞きます。知多半島においても数多くの虫の音を聞くことができる場所でもあり、毎年、観察会を行っている阿久比町の田んぼ周辺ですが、8月下旬に調査したところ、タイワンクツワムシなど、21種類の虫の音を聞くことが出来ました。
秋になると、町でも野でも鳴いている、私たちの暮らしに身近な虫たちの音を、聞いて覚えてみたいという方は、是非ご参加ください。
〇日程/①2026年9月20日(日) ②2026年9月23日(水・祝)
〇時間/①18:30~20:00 ②18:30~20:30頃 ※場合によっては、延長することもあります。余裕をもってご参加ください。
〇集合場所/①半田市・新美南吉記念館「童話の森」屋外休憩所 地図はこちら
②阿久比町役場駐車場 地図はこちら
※自動車でお越しの場合は、①②ともに無料の駐車場があります。①新美南吉記念館へは、知多半島道路からは、「半田中央IC」を下りていただき信号を右折。「岩滑西町」の信号を右折し、次の「柊町四丁目」を左折すると、スーパーマーケット「フィールエクボ」の少し先から駐車場に入れます。「岩滑西町」を直進すると、右折では駐車場に入れませんのでご注意ください。②阿久比町役場へは、知多半島道路からは、「阿久比IC」を下りていただき信号を右折。すぐにある「卯坂西」を左折すると、「卯坂」の信号にあたりますので、右折してください。そのまま県道55号を5分ほど進むと、右手に町役場があります。
※電車でお越しの場合は、①最寄り駅「半田口」駅からのバスが終わっているため、徒歩になります。駅前の道(県265)を西へ真っすぐ20分ほど歩くと着きます。②最寄りは、名鉄「阿久比」駅です。名古屋方面からの集合時間に近い電車は、18:09着の電車(河和行き)になります。駅から町役場までは、歩いて7~8分です。
〇費用/無料
〇その他/・トイレは、①記念館敷地内は閉まっています。隣りのスーパーマーケットにあります。②近隣にコンビニエンスストアがあります。・メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。・LEDライトがあると、鳴いている虫を探すときやメモを取るときに便利ですが、無くても大丈夫です。
★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

「鳴く虫の観察会」の季節になりました。今年も阿久比町役場に集合し、近くの田んぼ周辺で虫の音を聞きます。この場所は、知多半島においても数多くの虫の音を聞くことができる場所で、8月下旬に調査したところ、タイワンクツワムシなど、21種類の虫の音を聞くことが出来ました。夜風にあたり、夜空を見上げ、田んぼや草むらの匂いを嗅ぎ、虫の音に耳を傾けます。
〇日程/2026年9月5日(土)※23日に延期
〇時間/18:30集合~20:00頃、終了予定
〇集合場所/阿久比町役場駐車場 地図はこちら
※自動車でお越しの場合。阿久比町役場へは、知多半島道路からは、「阿久比IC」を下りていただき信号を右折。すぐにある「卯坂西」を左折すると、「卯坂」の信号にあたりますので、右折してください。そのまま県道55号を5分ほど進むと、右手に町役場があります。
※電車でお越しの場合。最寄りは、名鉄「阿久比」駅になります。名古屋方面からの集合時間に近い電車は、18:09着の電車(河和行き)になります。駅から町役場までは、歩いて7~8分です。
〇費用/無料
〇その他/・トイレは、近隣にコンビニエンスストアがありますが、なるべく済ませてからお越しください。・メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。・LEDライトがあると、鳴いている虫を探すときやメモを取るときに便利ですが、無くても大丈夫です。・舗装された道を歩きますので、靴は普段履いているもので大丈夫です。
★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。
奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今年は、午前と午後の二部制で開催しています。
午前の部は、今池にある音楽スタジオ「CORE SELDOM(芸音)」で歌の練習をします。開始時間が11:00になりますので、10分前には、スタジオにお越しください。練習後、各自昼食をとって、昭和生涯学習センターへ移動。時間に余裕をもたせて、13:30から読書会を始めます。午前だけ、午後だけの参加でも大丈夫です。たくさんのご参加をお待ちしております。
〇日程/2026年9月19日(土)①11:00~12:00 ②13:30~16:30
〇場所/①スタジオCORE SELDOM(芸音) ②昭和生涯学習センター・美術室
〇アクセス/①名古屋市営地下鉄「今池」駅下車。1番出口を出て、正面徒歩2分。近隣にコインパーキング有り。 ②名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。
★地図はこちら↓
〇参加費/大人700円、子ども(小学生以下)350円 ※資料代、会場代に使用
〇内容/<スタジオ>・歌の練習 <生涯学習センター>・お知らせ ・読解「椋鳩十と戦争」~第八章 ・課題図書「マヤの一生」
〇備考/・初めての方には、当日楽譜をお渡しします。・「マヤの一生」は「マヤの一生」(理論社)、「椋鳩十全集(15)」(ポプラ社)などいくつかの本で読むことが出来ます。少し長い物語のため、2回に分けて全文を読みます。・「椋鳩十と戦争」(多胡吉郎著/書肆侃侃房、2024)は、「第八章」(※マヤの一生の章)を読み解きます。・初めての方もお気軽にご参加ください。
参加される方は、mail(at)hanayasuribooks.comにご連絡ください。
まだまだ暑い日が続きますが、日没前後から虫の音が聞こえてくるようになりました。猛暑の夏を経て、そろそろ秋の観察会シーズンがはじまります。9月、10月の観察会と読書会のスケジュールは、以下の通りです。
<9月のスケジュール>
「第17回 椋鳩十を読む会」
日時:9/19(土) 11:00~12:00/13:30~16:30
場所:CORE SELDOM(芸音)/昭和生涯学習センター・美術室
◇午前の部は、スタジオで歌の練習をします。午後の部の課題図書は「マヤの一生」を読みます。「椋鳩十名作選 マヤの一生」(理論社)、「椋鳩十全集(15)マヤの一生」(ポプラ社)などで読むことが出来ます。長い物語ですので、2回に分けて読みます。「椋鳩十と戦争」は、「第8章」(マヤの一生の章)を読みます。初めての方もお気軽にご参加ください。
「童話の森で鳴く虫の観察会」
日時:9/20(日) 18:30~20:00
場所:半田市岩滑・新美南吉記念館周辺
◇一昨年、昨年と「虫の詩」をテーマにして、童話の森、矢勝川周辺で鳴く虫の観察会を開催しました。今年も南吉や南吉周辺の文学とともに虫の音に耳を傾けます。
「鳴く虫の観察会」
日時:9/23(水・祝) 18:30~20:30
場所:阿久比町の田んぼ
◇毎年恒例の鳴く虫の観察会です。観察する田んぼや川沿いは、知多半島でも一か所でもっとも多くの虫の音を聞ける場所の一つです。阿久比町役場に集合し、たくさんの虫たちの音から、一つ一つの音を聞きとっていきます。
<10月のスケジュール>
「秋の観察会 in 富貴」
日時:10/4(日) 9:30~11:30
場所:武豊町富貴・武豊自然公園
◇今年も秋の観察会は、武豊自然公園です。この時期の自然公園は、ホトトギスなど秋の花が咲き、樹上からはキンヒバリの音が聞こえます。いつもは午後開催ですが、今回は午前開催です。歩く時間を変えると、どのように自然の様子が変わるのかも考えてみます。
※内容の詳細は、9月下旬に掲載します。
「第3回 モンテッソーリ読書会」
日時:10/18(日) 13:00~16:30
場所:中生涯学習センター・第1集会室
◇モンテッソーリ読書会、10月の会場は、名古屋市中区の中生涯学習センター(地下鉄「上前津」駅、6番出口より徒歩7分)になりました。テキストの「第2章モンテッソーリの教具」を読んで、ご参加ください。「子どもたちを取り巻く環境について考える」のテーマは、「校庭・園庭」です。
※内容の詳細は、10月上旬に掲載します。
「第34回西味鋺観察会」
日時:10/31(土) 10:00~12:00
場所:西味鋺コミュニティセンター
◇味鋺神社、護国院、西八龍社、東八龍社を巡り、寺社に生えるドングリなどの木の実を観察します。
※参加を希望される方は、mail(at)hanayasuribooks.comまでご連絡ください。
(4)モンテッソーリが「メソッド」を書き上げる100年ほど前のこと。19世紀初頭のイギリスで、ある詩人が、一つの詩を完成させた。詩人の名はウィリアム・ワーズワス。
ワーズワスは、1770年にイギリスの湖水地方に生まれる。幼い頃に、母と父を続けて亡くし、兄弟姉妹とともに親戚の後見のもとに育つ。大学はケンブリッジに進む。当時のケンブリッジで学問の中心となっていた、天文学、幾何学、古典学、経験論哲学、神学などを学び、学位を取得。大学時代は、革命の大波にのまれるフランスを通り、アルプスへ旅行した。大学を出てからも、詩作を続ける。妹のドロシーと、同じく詩人のサミュエル・コールリッジと交流しながら、湖水地方で場所を変えて暮らした。スイス、ドイツ、イギリス国内など各地を旅しながら、取り巻く自然から感じ取ったことから内省し、詩にした。
ワーズワスについて知ろうと思い、「対訳 ワーズワス詩集 イギリス詩人選(3)」(山内久明編/岩波文庫、1998)を借りてくる。この本にはモンテッソーリが好きだったという詩も収録されていた。詩が完成したのは、1804年。題は「幼少時の回想から受ける霊魂不滅の啓示」。204行からなる長い詩である。次のような題詞が添えてある。「子どもこそおとなの父、願わくは一日一日が、生来の自然への敬虔な心で結ばれるように。」。
詩は、次のように始まる。「かつては牧場も森も小川も/大地も、目に映るありとあらゆる光景が/私にとって/天上の光に包まれて見えた、/夢の中の栄光と瑞々しさに包まれて見えた。/だが今はかつてとは異なる。/どちらを向いても/夜であれ昼であれ/もはや今、かつて見えたものを見ることはできない。」。子どもの頃には、自然に包まれて見えていた何か栄光に満ちたものが、今は見えなくなった。見えるのは、ただ美しい自然の要素だけ。月や、星や、陸や、海。鳥のさえずり、崖を落ちる滝の音、牧童たちの声は、歓びの歌。五月は幼子が母親の腕の中で伸びあがる。それらはすべて聞こえているけれど、あの栄光に満ちた幼き日々の感性はどこへいってしまったのか。
詩人は言葉を紡ぐ。人の誕生は、眠りと忘却から始まる。生まれ出る魂は、生命の星、一度は没した星、遥かかなたからきた星。星の故郷は神。天上は幼子を包み込む。成長していく少年を牢獄のような暗い影が包み込むが、少年は、光を見つけ、それがどこから射し込むかを知る。若者は旅を強いられるが、自然の司祭が、光輝く景色を見せながら、ともに歩んでくれる。大人になると、そうした光は消え失せて、もう、日常の光に融け込んでいる。
目の前の6歳の子どもが、自分で描いた絵を散らばらせ、自分が生まれ落ちた世界を観察し、模倣しながら、一心に成長しようとする姿に、詩人は心打たれる。けれども、ほどなく幼い子どもの魂は、現世の重荷を背負い、慣習がのしかかってくる。
詩人が感謝し、賞賛するのは、祝福に満ちた子ども時代そのものではない。感謝し、賞賛するのは、子どもにだけ見える感覚と、その目の前に見えている物。まだ、その秩序が分からず、自分のものになっていない世界で抱く不安は、高貴な本能である。あの原初の感覚。影のように捉え難い感覚に感謝し、賞賛しよう。その感覚が、この世の光すべての源。
詩人の内面を漂っていた思考は、再び、周囲の自然へのまなざしに戻る。かつて輝いていたものが永遠に消え失せたとして、それがどうしたというのだ。草に見た輝き、花に見た栄光を、そこにある強さを、原初の共感を思い返して見つけるのだ。かつての共感は、永遠にありつづけるのだから。「私は心の奥底で自然の力を感ずる。/私は一つの歓びを失ったが/より恒常的な自然の支配のもとで生きる。/私は幾筋ものせわしく流れ下る小川を愛す、/小川のように足どりも軽やかだった昔にもまして」。子ども時代の栄光の感覚を失ったとしても、人生を経た大人には、新たな報償がある。これまで生きるよすがとなった人々の、心の優しさ、歓び、そして怖さのお蔭で、慎ましく咲く花でさえ、しばしば、涙よりも深い感動を私にもたらしてくれるのだ——こうして、長い詩は終わる。私にとってとくに大事な要素を追うと、このような要約になるのだが、詩全体の深みは、全文を読まなくては味わうことができない。
ワーズワスが生きたのは、産業革命を経て、各地が都市化していった時代。失われていく各地の農村風景を憂いつつ、湖水地方の自然を生涯にわたり愛した。晩年、湖水地方に鉄道敷設の計画が公表されると、自然環境を保護するという観点から反対した。

(3)「モンテッソーリ・メソッド」と呼ばれる教育法は、1900年代、イタリア・ローマの貧民街であるサン・ロレンツォで確立される。19世紀後半、急速に近代都市化していくローマでは、アパートやビルが次々と建てられ、空き地が無くなるほどだった。サン・ロレンツォにもビルの建設計画があったのだが、計画がとん挫し、ビルは骨格だけが残された。残されたビルは、犯罪者たちの隠れ家となり、貧しい人々が何千人と住むようになる。巨大なスラム街となったサン・ロレンツォは、ローマの恥と言われるようになってしまう。
それらのビルやアパートを銀行家グループが買い取り、都市再生計画が始まる。ビルの経営者は、水回りを整え、風通しを良くした。ビルの住人には、職のある夫婦を選んだ。そうした家族が地域の人口を支える要素になると考えた。住民たちは、修復されたアパートに移り住み、生活を始めた。しかし、経営者たちを悩ませる問題があった。住民たちの子どもである。就学前の子どもたちは、両親が働きに出ている間、ビル内を自由に駆け回り、思いつく限りのいたずらをしたのだ。手を焼いた経営者たちは、子どもを一か所に集めて、一日中閉じ込めておけばよい、という結論に達する。空っぽの部屋を一室設け、子どもたちを監視する女性を一人雇えばいい。この計画の適役と考えられ、選ばれたのが、マリア・モンテッソーリだった。当時、子どもの精神障害に関する専門家として、国際的な名声を得ていたモンテッソーリは、この計画に大きな可能性を感じ、承諾した。子どもたちの部屋は、「子どもの家(Casa dei Bambini)」と名づけられ、1907年に開所式が行われた。
モンテッソーリが「子どもの家」で目的としたことは、子どもの行動をよく観察し、自分のことは自分でできるようにする、自立させることだった。体操、草木や動物の世話、みんなで食べる昼食の準備や盛り付け。服にボタンやレースを付けることを学び、掃除をし、洗濯する。それも自ら進んでその仕事をし、仕事をしたことに充足感を得られるように。感覚教具として知られるようになる教具はすでにあったが、使っているところを観察しながら、子どもたちが興味を持つものは何かを突き詰め、改良が加えられていった。
「子どもの家」は評判を呼び、同年にサン・ロレンツォで二つ目の「子どもの家」ができる。国内に着々とモンテッソーリの学校は増えていった。飛躍となったのは、チッタ・ディ・カステッロでの集まりである。フランチェッティ男爵は、当時、イタリア南部の後進地域における農地改革運動を指導していた。夫人は領地内の農民の子どもたちのために小学校をつくろうとしていた。二人はモンテッソーリに出会うと、同じ信念を持っていることを確信し、支援を申し出るため、別荘に招く。アンナ・マッケローニ、アンナ・フェデーリといったモンテッソーリを生涯にわたり支えた助手であり、友人たちも同席した。
チッタ・ディ・カステッロで、モンテッソーリは最初の養成コースを教える。自らモンテッソーリ・スクールを開校する修了生もあらわれた。フランチェッティ夫妻は、モンテッソーリの仕事を大いに助け、モンテッソーリに本を書くよう勧めた。モンテッソーリは、すぐに自分の仕事や思想をまとめた「子どもの家における幼児教育のための科学的教育法」(以下、「モンテッソーリ・メソッド」)を書き上げる。この本は、英語に始まり、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語、ルーマニア語、デンマーク語、オランダ語、日本語、中国語に翻訳される。数年後には20か国語以上に翻訳され、世界中で読まれるようになる。そして、さまざまな批評がなされた。ローマの「子どもの家」には、世界中から見学者が訪れ、「メソッド」について尋ねる手紙が、たくさん届くようになった。
1909年、「モンテッソーリ・メソッド」がアメリカで紹介されると、1910年代の初めに大きな運動が起こる。しかし、その勢いは数年で衰え、その後50年近く忘れ去られる。衰退した理由の一つは、アメリカ社会に適合した形でメソッドを広めたい支援者たちと、モンテッソーリ・メソッドは、ヨーロッパ各国でもなされているように、そのまま受け入れられなくては認められない、モンテッソーリ本人との考え方の対立だった。最終的にモンテッソーリは、自身の目の届かないところでメソッドだけが独り歩きすることを拒んだ。
この部分のことについて、今のところ明確な自分の考えは持ち合わせていないが、現代に通じるテーマだと思う。少し時間を置いて、文化、社会、歴史、宗教なども包み込む、ヨーロッパやアメリカの自然観を知ってから、あらためて考えてみたい。

7月22日。愛知県美術館に「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展を見に行った。昨年、東京の美術館でこの展覧会は開催していて、行きたいなと思ったのだが、会期中に東京へ行く機会がなかった。今年の春、愛知芸術文化センター地下の情報コーナーでチラシを見つけて、早めにチケットを購入した。
名古屋を含む東海地方には、美術館が多い。関東で開催した展覧会が巡回してくることはよくある。京都や大阪など関西方面へ行くのもそれほど遠くない。美術展が好きであれば、名古屋は便利な都市だと思う。群馬に行ったとき、宇都宮美術館で開催していた「ライシテから見るフランス美術」展が、しばらく経って三重県立美術館にやってきた。こちらもチラシで知って見てきたのだが、巡回する会場は、どのようにして決まるのだろうか。
さて「スウェーデン絵画」展である。日中の気温が、40度近くまで上がるという予報だったからか、正午過ぎの美術館は混んでおらず、見るのにちょうど良い人の入りだった。
画家たちの目を通して、スウェーデンやフランスのかつての風景、農村地帯での暮らしが伝わる展示だった。19世紀、スウェーデン出身の画家たちは、パリで勉強し絵画の技法を学んだ。日本人の画家たちも移り住んだ、パリ近郊のグレ=シュル=ロワン村に滞在した人たちもいた。けれども、その頃から隆盛を迎える印象派の画家たちとは、深い交流は無かったそうだ。言葉が通じず、同じスウェーデン出身の画家同士で仲が良かったからということもその理由にあったらしい。彼らは絵画の先進国フランスで技法を学んだが、その後は、故郷のスウェーデンに帰り、スウェーデンらしい絵画の制作に取り組んだ。
コローの絵にも少し似ているなと思った、湖を描いた風景画は、日常、人の生活のそばにある風景が、そのまま美しいことを教えてくれる。フランスのセーヌ河畔のリンゴの花は、白くほんのり輝いて、白い花がこのように見える時間はあるなと思った。北欧では、日没後と夜明け前に辺り一面が青い光に包まれる現象が長く続く。北欧的モチーフとしてよく描かれるそうで、独特な青色なのだろう。日没の風景画を観ると、太陽が沈んだばかりで地平線があかく、残光が青灰色の雲と混ざり、雲の下側もあかい。その絵を眺めていると、冬の夕暮れに、散歩に出かけたとき見かける空に似ている気がした。
スウェーデン国立美術館で、スウェーデンのABCと紹介される3人の画家がいる。自分が観たり、考えたりしていることとも重なり合う絵だったので、覚えておこうと思った。
一人目は、アンデシュ・ソーン。彼の出身地であるダーラナ地方は、スウェーデンでも、とくに歴史や伝統に根差した生活をしていた地方。フランスから戻ったソーンは、ダーラナに住む人々の暮らし、舞踏、音楽などを描いた。展示されていたリュートを弾く女性の絵は印象的で、着ている民族衣装は、何か象徴的な明るい赤色だった。
二人目は、ブリューノ・リリエフォッシュ。リリエフォッシュは鳥をよく観察して描いた画家。カケス、モズ、ダイシャクシギなど数点の鳥の絵が展示されていた。波間に漂うケワタガモは、繰り返し描いた海鳥。冬に知多半島の海に来るカモたちを思い出す。19世紀から20世紀は、鳥の生態を観察し、生息地や渡りの中継地の環境保護を訴えた人たちが各地にいた。リリエフォッシュのように、鳥たちにインスピレーションを得た表現者も多い。
三人目は、カール・ラーション。1989年に出版された水彩画集「ある住まい」がよく知られている。この水彩画集は、ラーション一家が実際に住んだ田舎の家を描いたもの。自然をモチーフにした家具や、植物を飾る器。慎ましくありながらも、暮らしの中に美を取り入れるという姿勢は、世界的に注目された。ダイニングでは、子どもたちも一緒に食卓を囲んだ。それは、大人と子どもが分けられていた時代において珍しいことだった。ラーションを絶賛したのは、同国の社会運動家であるエレン・ケイ。女性や子どもの権利について多数の著作を残し、母性について研究するとともに、子どもの自然な成長を重んじる教育の重要性を説いた。モンテッソーリとも共通するところがありそうだが、どうなのだろう。
美術館を出る。エレベーターで降りてきて屋外に出る。オアシス21のプランターに生えるコヒロハハナヤスリは全体が黄色っぽくなり、くったり倒れていた。地下鉄に乗って、熱田神宮伝馬町駅で降り、地上へと階段を上がると、もわっとした強烈な暑気。10年後に最高気温45度の名前がついていないと良いけれどと思いながら、足早に家に帰った。

7月も後半になり、毎日、暑い日が続く。東海地方では、日中の最高気温が40度を超す場所が何か所も出てきている。今年、最高気温40度以上の日は、酷暑日と名づけられた。10年ほど前、よく聞いていたラジオの音楽番組で、35度以上の日が猛暑日という名前になったという話をしていた。イギリス出身のラジオDJは、毎日暑すぎると言いながら、テンション高く「MOSHO-BI!!(モショビッ!!)」と連呼し、発音がちょっと英語に似てるね、と笑っていた。これだけ暑ければ、そんなテンションにもなるよなと苦笑いしながら聞いていたのだが、年々気温は上がり続け、さらに5度高い日の名前まで出来てしまった。
夜でも暑いので、気分だけでも涼しくなれそうな本はないだろうかと、本棚を探す。まだ読めていない本の中から「北欧の小さな旅 ラップランド幻想紀行」(小谷明/東京書籍、1995)を読み始める。ラップランドとは、スカンジナビア半島の北部、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、一部ロシアにまたがる地域を指す。トナカイを放牧して暮らすラップ人(ラップという言葉が「追われた」という意味をもつため、現在は現地の人たちが用いるサーミと呼ぶ)を訪ねた旅のエッセイ。著者が撮影した写真は、ありのまま、きれいである。雪におおわれた大地、赤い毛糸が鮮やかな民族衣装、海辺の暮らしや風景。列をなすトナカイ。サーミの人たちがトナカイに橇を引かせる姿は、サンタクロースの原型となったと言われるそうだが、それも頷ける。実際そうなのかどうかは、よく分かっていないようだ。読み終わる頃には、脳内の暑気が、少しだけ抜けた気がした。
北欧というと、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーに、デンマークを加えた4か国を指すのが一般的だと思う。北欧4か国は、児童文学作家を数多く輩出している。
「長くつ下のピッピ」の作者、アストリッド・リンドグレーンは、スウェーデンの作家。子どもの権利と個性を尊重するという作家としての姿勢が、世界的に評価されている。リンドグレーンの物語に出てくる子どもたちは、元気である。
コロナウィルスによる社会変化が起こる少し前、リンドグレーンの翻訳をされている方の講演を聞きに行った。海外の児童文学が好きな方たちに根強い人気を誇るリンドグレーンの作品。よく知られた先人の翻訳があるだけに、プレッシャーもあるが、なるべく現代の子どもたちにも分かるように翻訳されるそう。スウェーデンに行くと、高山植物が低地にあることを楽しそうに話されていて、100人くらい入っていた会場の雰囲気も和やかだった。
スウェーデンの東隣りの国フィンランドは、ムーミンの国である。リンドグレーンと同時代の作家、トーベ・ヤンソンが生んだムーミン・トロールは、第二次世界大戦中、雑誌の風刺画に描かれたことに始まる。ファンタジーでありながらも北欧の景色が目に浮かび、登場人物たちの発言や行動はそれぞれに個性的で、大人であっても楽しく読める。
スウェーデンの西隣りの国、ノルウェー。1990年代に「ソフィーの世界」が、世界中で翻訳されたヨースタイン・ゴルデルは、ノルウェーの作家である。私は西洋哲学をもとに書かれた物語である「ソフィーの世界」よりも、その後に発表された「アドヴェント・カレンダー」の方が好きだった気がする。12月に入って、クリスマスまでの24日間、毎日一つずつ窓を開けていくアドヴェベント・カレンダー。古びたカレンダーと出会った少年と、窓を開けるごとに語られる不思議な少女の物語。ただ、ほとんど忘れてしまっているので、機会を見つけて、もう一度、読んでみようかなと思っている。
最後に、スウェーデンと海峡をはさんで隣合う国、デンマーク。デンマークといえば、アンデルセン。19世紀の初頭に生まれ、「人魚姫」「裸の王様」「マッチ売りの少女」といった数々の童話は、世界中で読まれている。
国際アンデルセン賞は、1953年に創設された世界初の子どもたちが読む文学の作者に贈られる賞。世界的に栄誉ある文学賞にもちなむアンデルセンは特別な作家なのだろう。
日本は、19世紀後半、明治の世になる。その頃、日本には童話や児童文学がまだ無く、子どもが読む物語が渇望されていたときに、アンデルセンが紹介された。数々の文学者に大きな影響を与え、新美南吉は、日本のアンデルセンになることを願った。アンデルセンの物語は文学者だけでなく、表現者にも大きなインスピレーションを与えた。いわさきちひろは生涯にわたり、アンデルセンの物語の水彩画をたくさん描いた。<下に続く>