暑い日は、北欧(下)

7月22日。愛知県美術館に「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展を見に行った。昨年、東京の美術館でこの展覧会は開催していて、行きたいなと思ったのだが、会期中に東京へ行く機会がなかった。今年の春、愛知芸術文化センター地下の情報コーナーでチラシを見つけて、早めにチケットを購入した。

名古屋を含む東海地方には、美術館が多い。関東で開催した展覧会が巡回してくることはよくある。京都や大阪など関西方面へ行くのもそれほど遠くない。美術展が好きであれば、名古屋は便利な都市だと思う。群馬に行ったとき、宇都宮美術館で開催していた「ライシテから見るフランス美術」展が、しばらく経って三重県立美術館にやってきた。こちらもチラシで知って見てきたのだが、巡回する会場は、どのようにして決まるのだろうか。

さて「スウェーデン絵画」展である。日中の気温が、40度近くまで上がるという予報だったからか、正午過ぎの美術館は混んでおらず、見るのにちょうど良い人の入りだった。

期待していた通り、スウェーデンという土地の風景や生活が伝わる展示だった。19世紀、スウェーデン出身の画家たちは、パリで勉強し絵画の技法を学んだ。日本人の画家たちも移り住んだ、パリ近郊のグレ=シュル=ロワン村に滞在した人たちもいた。けれども、その頃から隆盛を迎える印象派の画家たちとは、深い交流は無かったそうだ。言葉が通じず、同じスウェーデン出身の画家同士で仲が良かったからということもその理由にあったらしい。彼らは絵画の先進国フランスで技法を学んだが、その後は、故郷のスウェーデンに帰り、スウェーデンらしい絵画の制作に取り組んだ。

コローの絵にも少し似ているなと思った、湖を描いた風景画は、日常、人の生活のそばにある風景が、そのまま美しいことを教えてくれる。フランスのセーヌ河畔のリンゴの花は、白くほんのり輝いて、白い花がこのように見える時間はあるなと思った。北欧では、日没後と夜明け前に辺り一面が青い光に包まれる現象が長く続く。北欧的モチーフとしてよく描かれるそうで、独特な青色なのだろう。日没の風景画を観ると、太陽が沈んだばかりで地平線があかく、残光が青灰色の雲と混ざり、雲の下側もあかい。その絵を眺めていると、冬の夕暮れに、散歩に出かけたとき見かける空に似ている気がした。

スウェーデン国立美術館で、スウェーデンのABCと紹介される3人の画家がいる。自分が観たり、考えたりしていることとも重なり合う絵だったので、覚えておこうと思った。

一人目は、アンデシュ・ソーン。彼の出身地であるダーラナ地方は、スウェーデンでも、とくに歴史や伝統に根差した生活をしていた地方。フランスから戻ったソーンは、ダーラナに住む人々の暮らし、舞踏、音楽などを描いた。展示されていたリュートを弾く女性の絵は印象的で、着ている民族衣装は、何か象徴的な明るい赤色だった。

二人目は、ブリューノ・リリエフォッシュ。リリエフォッシュは鳥をよく観察して描いた画家。カケス、モズ、ダイシャクシギなど数点の鳥の絵が展示されていた。波間に漂うケワタガモは、繰り返し描いた海鳥。冬に知多半島に来るカモたちを思い出す。19世紀から20世紀は、鳥の生態を観察し、生息地の保護をした人がヨーロッパやアメリカなど、各地にいた。リリエフォッシュのように、鳥の暮らしにインスピレーションを得た表現者も多い。

三人目は、カール・ラーション。1989年に出版された水彩画集「ある住まい」がよく知られている。この水彩画集は、ラーション一家が実際に住んだ田舎の家を描いたもの。自然をモチーフにした家具や、植物を飾る器。慎ましくありながらも、暮らしの中に美を取り入れるという姿勢は、世界的に注目された。ダイニングでは、子どもたちも一緒に食卓を囲んだ。それは、大人と子どもが分けられていた時代において珍しいことだった。ラーションを絶賛したのは、同国の社会運動家であるエレン・ケイ。女性や子どもの権利について多数の著作を残し、母性について研究するとともに、子どもの自然な成長を重んじる教育の重要性を説いた。モンテッソーリとも共通するところがありそうだが、どうなのだろう。

美術館を出る。エレベーターで降りてきて屋外に出る。オアシス21のプランターに生えるコヒロハハナヤスリは全体が黄色っぽくなり、くったり倒れていた。地下鉄に乗って、熱田神宮伝馬町駅で降り、地上へと階段を上がると、もわっとした強烈な暑気。10年後に最高気温45度の名前がついていないと良いけれどと思いながら、足早に家に帰った。

 

 

暑い日は、北欧(上)

7月も後半になり、毎日、暑い日が続く。東海地方では、日中の最高気温が40度を超す場所が何か所も出てきている。今年、最高気温40度以上の日は、酷暑日と名づけられた。10年ほど前、よく聞いていたラジオの音楽番組で、35度以上の日が猛暑日という名前になったという話をしていた。イギリス出身のラジオDJは、毎日暑すぎると言いながら、テンション高く「MOSHO-BI!!(モショビッ!!)」と連呼し、発音がちょっと英語に似てるね、と笑っていた。これだけ暑ければ、そんなテンションにもなるよな、と笑いながら聞いていたのだが、年々気温は上がり続け、さらに5度高い日の名前まで出来てしまった。

夜でも暑いので、気分だけでも涼しくなれそうな本はないだろうかと、本棚を探す。まだ読めていない本の中から「北欧の小さな旅 ラップランド幻想紀行」(小谷明/東京書籍、1995)を読み始める。ラップランドとは、スカンジナビア半島の北部、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、一部ロシアにまたがる地域を指す。トナカイを放牧して暮らすラップ人(ラップという言葉が「追われた」という意味をもつため、現在は現地の人たちが用いるサーミと呼ぶ)を訪ねた旅のエッセイ。著者が撮影した写真は、ありのまま、きれいである。雪におおわれた大地、赤い毛糸が鮮やかな民族衣装、海辺の暮らしや風景。列をなすトナカイ。サーミの人たちがトナカイに橇を引かせる姿は、サンタクロースの原型となったと言われるそうだが、それも頷ける。実際そうなのかどうかは、よく分かっていないようだ。読み終わる頃には、脳内の暑気が、少しだけ抜けた気がした。

北欧というと、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーに、デンマークを加えた4か国を指すのが一般的だと思う。北欧4か国は、児童文学作家を数多く輩出している。

「長くつ下のピッピ」の作者、アストリッド・リンドグレーンは、スウェーデンの作家。子どもの権利と個性を尊重するという作家としての姿勢が、世界的に評価されている。リンドグレーンの物語に出てくる子どもたちは、元気である。

コロナウィルスによる社会変化が起こる少し前、リンドグレーンの翻訳をされている方の講演を聞きに行った。海外の児童文学が好きな方たちに根強い人気を誇るリンドグレーンの作品。よく知られた先人の翻訳があるだけに、プレッシャーもあるが、なるべく現代の子どもたちにも分かるように翻訳されるそう。スウェーデンに行くと、高山植物が低地にあることを楽しそうに話されていて、100人くらい入っていた会場の雰囲気も和やかだった。

スウェーデンの東隣りの国フィンランドは、ムーミンの国である。リンドグレーンと同時代の作家、トーベ・ヤンソンが生んだムーミン・トロールは、第二次世界大戦中、雑誌の風刺画に描かれたことに始まる。ファンタジーでありながらも北欧の景色が目に浮かび、登場人物たちの発言や行動はそれぞれに個性的で、大人であっても楽しく読める。

スウェーデンの西隣りの国、ノルウェー。1990年代に「ソフィーの世界」が、世界中で翻訳されたヨースタイン・ゴルデルは、ノルウェーの作家である。私は西洋哲学をもとに書かれた物語である「ソフィーの世界」よりも、その後に発表された「アドヴェント・カレンダー」の方が好きだった気がする。12月に入って、クリスマスまでの24日間、毎日一つずつ窓を開けていくアヴェベント・カレンダー。古びたカレンダーと出会った少年と、窓を開けるごとに語られる不思議な少女の物語。ただ、ほとんど忘れてしまっているので、機会を見つけて、もう一度、読んでみようかなと思っている。

最後に、スウェーデンと海峡をはさんで隣合う国、デンマーク。デンマークといえば、アンデルセン。19世紀の初頭に生まれ、「人魚姫」「裸の王様」「マッチ売りの少女」といった数々の童話は、世界中で読まれている。

国際アンデルセン賞は、1953年に創設された世界初の子どもたちが読む文学の作者に贈られる賞。世界的に栄誉ある文学賞にもちなむアンデルセンは特別な作家なのだろう。

日本は、19世紀後半、明治の世になる。その頃、日本には童話や児童文学がまだ無く、子どもが読む物語が渇望されていたときに、アンデルセンが紹介された。数々の文学者に大きな影響を与え、新美南吉は、日本のアンデルセンになることを願った。アンデルセンの物語は文学者だけでなく、表現者にも大きなインスピレーションを与えた。いわさきちひろは生涯にわたり、アンデルセンの物語の水彩画をたくさん描いた。<下に続く>

 

モンテッソーリ読書会(8月)のお知らせ

8月のモンテッソーリ読書会のお知らせです。

この読書会で取り上げる本は、「人間らしき進化のための教育」(マリオ・M・モンテッソーリ著、周郷博訳/ナツメ社、1978)。マリア・モンテッソーリの孫であり、国際モンテッソーリ協会の常任顧問をつとめられた、マリオ・M・モンテッソーリ・ジュニアの講演録をもとにした本です。今回は「第2章 モンテッソーリの教具」を読み解きます。

後半は「現代の子どもたちを取り巻く環境について考える」と題して、話し合います。テーマは、6月に続き「田んぼ」です。当日資料は、開催日の数日前までにメールでお送りします。

 

〇日程/2026年8月11日(火・祝)13:00~16:30

〇場所/昭和生涯学習センター・第2集会室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折。真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 昭和生涯学習センターの場所

〇内容/①読解「第2章 モンテッソーリの教具」(90分) ②話し合い「現代の子どもたちを取り巻く環境について考える」(60分)

〇備考/・入手困難な本ですので、参加のご連絡をいただいた方へ、コピーを郵送します。コピー代として1500円(送料含む)を当日お支払いください。・話し合った内容は、後日、まとめた資料をお送りします。当日会場に来ることが難しい方にも分かるように進めていきますので、興味のある方は、是非ご参加ください。

 

※テキストの入手は、mail(at)hanayasuribooks.com(相地透)まで、ご連絡ください。メールにお名前と送付先ご住所を記入してください。

 

8月・9月の観察会スケジュール

8月、9月の観察会スケジュールです。

 

<8月の観察会スケジュール>

「第2回 モンテッソーリ読書会」

日時:8/11(火・祝) 13:00~16:30

場所:昭和生涯学習センター・第2集会室

◇モンテッソーリ読書会、8月の会場は、名古屋市昭和区の昭和生涯学習センター(地下鉄「御器所」駅、2番出口より徒歩6分)になりました。テキストの「第2章モンテッソーリの教具」を読んで、ご参加ください。「子どもたちを取り巻く環境について考える」のテーマは、今回も「田んぼ」です。

内容の詳細はこちら

 

「第33回西味鋺観察会」

日時:8/29(土) 19:00~21:00

場所:西味鋺コミュニティセンター

◇庄内川河川敷で、秋の鳴く虫の音を聞き、燈火にやってくる昆虫を観察します。

※参加を希望される方は、mail(at)hanayasuribooks.comまでご連絡ください。

 

<9月の観察会スケジュール>

「鳴く虫の観察会」

日時:9/5(土) 18:30~20:30

場所:阿久比町の田んぼ

◇毎年恒例の鳴く虫の観察会です。阿久比町役場に集合し、近くの田んぼ周辺に生息する虫の音に耳を傾けます。

※内容の詳細は、8月下旬に掲載します。

 

「第17回 椋鳩十を読む会」

日時:9/19(土) 11:00~12:00/13:30~16:30

場所:CORE SELDOM(芸音)/昭和生涯学習センター・美術室

◇午前の部は、スタジオで歌の練習をします。午後の部の課題図書は「マヤの一生」を読みます。「椋鳩十名作選 マヤの一生」(理論社)、「椋鳩十全集(15)マヤの一生」(ポプラ社)などで読むことが出来ます。長い物語ですので、2回に分けて読みます。「椋鳩十と戦争」は、「第8章」(マヤの一生の章)を読みます。

※内容の詳細は、8月下旬に掲載します。

 

アミメカゲロウ、カゲロウのこと

7月のある日のこと。数日間、安定しない天気が続いていたのだが、その日は少し晴れていたので、朝、歩きに行くことにした。家の玄関を出て、すぐ隣の学校の塀に、昆虫が止まっていた。「おや、ウスバカゲロウだ……」と思い、近づく。この辺りにウスバカゲロウが生息するような雑木林はないので、知多半島から持ち帰った土に、幼虫か繭が紛れ込んでいたのだろう。近づいて翅をよく見ると、いつも見ているウスバカゲロウと様子が違う。翅脈がはっきりしていて、よく見ると茶黒い部分がある。腹部はまだら模様が目立つ。歩きに行くのをやめて、家に戻り、図鑑で確認したところ、カスリウスバカゲロウだった。

水のきれいな川に棲み、幼虫が水生昆虫であるカゲロウに対して、ウスバカゲロウやクサカゲロウの仲間は、アミメカゲロウ目に分類される。身近な昆虫が掲載されている手持ちのポケット図鑑でウスバカゲロウの仲間を調べてみると、載っているのは4種。ウスバカゲロウ、コウスバカゲロウ、ホシウスバカゲロウ、カスリウスバカゲロウである。

ウスバカゲロウ、コウスバカゲロウは、よく見かける。なぜかというと、この両種の幼虫、つまりアリジゴクは、すり鉢状の巣をつくる。知多半島でも知多市の日長神社、常滑市の多賀神社や高砂山公園、美浜町、南知多町など、数え始めたらきりがないほど、アリジゴクの巣は見ている。アリジゴクが繭をつくり、ウスバカゲロウになって雑木林にあらわれるのは、梅雨の終わり頃から。巣のある場所を確認しておけば、夏に出会える。

一方、ホシウスバカゲロウ、カスリウスバカゲロウの幼虫は、アリジゴクであることは同じだが、徘徊性で巣をつくらない。幼虫と出会ったことは、これまでに一度もない。成虫はどうかというと、カスリウスバカゲロウを見たのは、今回が初めて。ホシウスバカゲロウは、これまでに数回出会っている。場所は、南知多町と阿久比町。ホシウスバカゲロウは翅にもやっとした斑がある。

アミメカゲロウ目の他の種を見てみると、クサカゲロウの仲間も図鑑には4種の記載がある。ヨツボシクサカゲロウ、クサカゲロウ、カオマダラクサカゲロウ、アミメクサカゲロウ。一番よく見かけるのは、ヨツボシクサカゲロウ。顔に四つの黒い斑があることが名前の由来だそうだが、小さすぎて、肉眼では見えない。印象としては、翅脈があおく、飛んでいると、翡翠のようなきれいな色をしている。カオマダラクサカゲロウは、ヨツボシクサカゲロウとよく似ているが、小さい。アミメクサカゲロウは、ヨツボシクサカゲロウよりも大きく、翅の幅が広いので、見分けがつく。クサカゲロウ中のクサカゲロウを見たことがないのは、なんとなく寂しいのだが、生息する場所が他種とは異なるのだろうか。

ウスバカゲロウ、クサカゲロウの仲間以外の種を見てみると、スカシヒロバカゲロウは、南知多町の雑木林で出会った。腹部が黄色くて、翅にうっすらと斑が入る。図鑑の解説によると、「ヒロバカゲロウ類の幼虫は湿ったコケなどから見つかっているが、詳しい生態などはよくわかっていない」そうだ。ツノトンボは、常滑市で出会った。ヘビトンボ、センブリ、カマキリモドキは、知多半島では今のところ見かけていない。

昨年、天白渓でカゲロウを見た。目の前をふわりと小さな虫が飛んでいて、目で追うと3本の長い尾が見えた。カゲロウというと、知多半島では、南知多町にクロタニガワカゲロウが生息している小川がある。きれいな川に棲んでいるイメージがあるので、名古屋にもカゲロウがいるのだなと印象に残った。

今年の2月、名古屋市環境科学調査センターの研究調査発表会に参加した。藤前干潟に漂着するマイクロプラスチックの調査など、研究員の方たちによるいくつかの発表が行われるなか、とくに聞きたかったのは、「生き物で水環境を測る」をテーマとした発表である。

名古屋市では、河川の水質を評価するのに、微生物が水の汚れを食べて分解するときに消費する酸素の量を測るBOD調査と同時に、水に棲む生きものを調べて水環境を評価する取り組みも行っている。名古屋市の環境白書を見ると、今回の調査で見つかった水生生物が記載されている。カゲロウ目は、27種(同定されているものは22種)。たくさんいることに驚きつつ、市内の河川がきれいになってきていることに、安心した。庄内川がとくに、BOD、生き物による水環境の評価ともに高かったそうだ。さらに良くしていくための課題は、まだたくさんあるだろうが、こうした調査報告が聞けるのは、嬉しいものである。

 

 

椋鳩十を読む会・7月

奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今年は、午前と午後の二部制で開催しています。

午前の部は、今池にある音楽スタジオ「CORE SELDOM(芸音)」で歌の練習をします。開始時間が11:00になりますので、10分前には、スタジオにお越しください。練習後、各自昼食をとって、昭和生涯学習センターへ移動。時間に余裕をもたせて、13:30から読書会を始めます。午前だけ、午後だけの参加でも大丈夫です。たくさんのご参加をお待ちしております。

〇日程/2026年7月18日(土)①11:00~12:00 ②13:30~16:30

〇場所/①スタジオCORE SELDOM(芸音) ②昭和生涯学習センター・第2集会室

〇アクセス/①名古屋市営地下鉄「今池」駅下車。1番出口を出て、正面徒歩2分。近隣にコインパーキング有り。 ②名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

★地図はこちら↓

スタジオCORE SELDOM (芸音)の場所

昭和生涯学習センターの場所

〇参加費/大人700円、子ども(小学生以下)350円 ※資料代、会場代に使用

〇内容/<スタジオ>・歌の練習 <生涯学習センター>・お知らせ ・読解「椋鳩十と戦争」~第七章 ・課題図書「孤島の野犬」より「消えた野犬」

〇備考/・初めての方には、当日楽譜をお渡しします。・「孤島の野犬」は長い物語です。「椋鳩十全集5」(ポプラ社)、「孤島の野犬」(偕成社文庫)で全文を読むことが出来ます。当日は「椋鳩十の野犬物語」(理論社)にも収録されている「消えた野犬」を読みます。・「椋鳩十と戦争」(多胡吉郎著/書肆侃侃房、2024)は、「第七章」(※孤島の野犬の章)を読み解きます。・初めての方もお気軽にご参加ください。

 

7月・8月の観察会スケジュール

7月、8月の観察会スケジュールです。

 

<7月の観察会スケジュール>

「第16回 椋鳩十を読む会」

日時:7/18(土) 11:00~12:00/13:30~16:30

場所:CORE SELDOM(芸音)/昭和生涯学習センター

◇午前の部は、スタジオで歌の練習をします。午後の部の課題図書は、今回も「孤島の野犬」より「消えた野犬」を読みます。「椋鳩十の野犬物語」(理論社)に収録されています。「孤島の野犬」3部作は、「椋鳩十全集(5)孤島の野犬」(ポプラ社)、「孤島の野犬」(偕成社文庫)で読むことが出来ます。「椋鳩十と戦争」は、「第7章」(孤島の野犬の章)を読みます。

 

<8月の観察会スケジュール>

「第2回 モンテッソーリ読書会」

日時:8/11(火・祝) 13:00~16:30

場所:名古屋市昭和区・昭和生涯学習センター

◇モンテッソーリ読書会、8月の会場は、名古屋市昭和区の昭和生涯学習センター(地下鉄「御器所」駅、2番出口より徒歩6分)になりました。テキストの「第2章モンテッソーリの教具」を読んで、ご参加ください。「子どもたちを取り巻く環境について考える」のテーマは、今回も「田んぼ」です。

※テキストの入手は、mail(at)hanayasuribooks.com(相地透)まで、ご連絡ください。内容の詳細は、7月下旬に掲載します。

 

「第33回西味鋺観察会」

日時:8/29(土) 19:00~21:00 ※時間変更の場合あり

場所:西味鋺コミュニティセンター

◇庄内川河川敷で、秋の鳴く虫の音を聞き、燈火にやってくる昆虫を観察します。

※内容の詳細は、8月上旬に掲載します。

 

SCENE in the pen. 106

“Red-clawed  Crab”

I went to see the adder’s tongue ferns at the shrine in Okuda. There were about 100 of them in total. A red-clawed crab was walking around the wall. They live in holes they have dug in the ground. In summer, the females gather on the shore on nights of spring tides to lay their eggs. [JUNE 2026]

Chiromantes haematocheir

 

美浜町奥田にある神社にコヒロハハナヤスリを見に行くと、アカテガニが穴から出ていました。アカテガニは、普段は陸上で生活していますが、夏の大潮の夜、産卵のため海岸に集まります。

 

<Traduction en français>

SCÈNE dans la pen. 106  “Le crabe aux pinces rouges”

Je suis allé voir les fugères serpent langue au temple d’Okuda. Il y en avait environ une centaine au total. un crabe aux pinces rouges marchait le long du mur. Ils vivent dans terriers creusés dans le sol. En été, les femelles se rassemblent sur la côte les nuits de marée haute pour pondre leurs œufs. [Juin 2026]

 

ルーツ・オブ・ソルト(下)

年魚市潟(あゆちがた)は、かつて、熱田の南から知多半島の付け根にかけて広がっていた干潟。万葉集にも詠われている。「年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝こぐ舟も沖による見ゆ」「桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る」。桜田は、名古屋市南区に地名が残る。年魚市潟は、名古屋市緑区の鳴海の宿では、鳴海潟とも呼ばれていた。

知多半島の塩田というと、三河湾側の東浦町での塩づくりがよく知られている。平安時代から知られた生道塩(いくじしお)の産地とされ、江戸時代には知多半島と西三河の境である境川沿いに塩田が広がっていた。対岸の吉浜との渡しがあった藤江にも塩田があったが、西三河と同じように東浦町の塩田も、19世紀から20世紀へと流れる時代において、水田になっていった。

伊勢湾側はどうかというと、東海市にも海沿いに塩田があったようだ。鳴海から知多半島西側の海沿いを通って南知多町大井に至る、常滑街道という道がある。常滑街道沿いの横須賀にある諏訪神社には、「年魚市潟潮干にけらし~」の江戸時代の歌碑があるが、すぐそばの地名に高横須賀塩田とある。江戸時代、干潟と塩田の風景に心惹かれた人が、さらに1000年の昔に、同じように年魚市潟の風景に心惹かれた万葉歌人の歌を残したいと思ったのだろう。境内に祀られている香良洲(からす)神社も干潟に縁のある神社。

熱田区、南区、緑区、東海市。年魚市潟がどれだけ広かったかが、よく分かる。忘れてはいけないのは、荒立つ波の海ではなく、穏かに波が寄せ、満干を繰り返す潟ということ。現在、日本全国を見渡しても、広い干潟が見られる場所は、ごくわずかである。

塩付街道は、御器所辺りから南下する。熱田台地から見ると、真東になる。この街道は、笠寺台地と呼ばれる緩やかな台地の上にある。笠寺台地には、旧石器時代に始まり、弥生時代から古墳時代にかけて大きなムラが栄えた見晴台(みはらしだい)遺跡がある。名古屋市見晴台考古資料館では、遺跡の成り立ちや、市内の遺跡の発掘情報などを知ることができる。

見晴台からもう少し南下したところ、笠寺台地の縁にある星崎が街道の終点であり、塩の道としては始点となる。塩付街道は、この星崎周辺の村々に暮らす人たちが、年魚市潟でつくった塩を伊那谷に運ぶための道なのである。

江戸時代の尾張名所図会に「星の宮」として描かれている星宮社は、星崎の旧村社である古い社。創建年代は、よく分かっていないようだが、飛鳥時代とも言われるそうだ。尾張名所図会をよく見ると、社の裏手の小高い丘に「イナツチヲキナノ社」と記されている。イナツチヲキナは、伊奈突智老翁と書くそうで、名古屋市の公式ウェブサイトには、「縁起によればこの地に塩づくりを教えた人である」と説明されている。

伊那は、伊奈とも書く。文字から素直に考えたら、「伊奈から来た土のことをよく知る翁」ということではないだろうか。つまり、江戸時代に名所図会に描かれるほど、美しく広大な塩田風景のルーツとなった製塩技術をこの土地の人びとに伝えたのは、伊那谷から来た人だったと考えられる。自然の恩恵をかたちにする技術を、土地の人びとに伝授した人が、感謝の気持ちとともに神社に祀られるというのは、越前に紙漉きの技術を伝えた岡太(おかもと)神社の川上御前をはじめ、各地によく見られる。

そうなると、伊那谷には塩水から塩をつくる技術があったということになるが、思い出されるのは、大鹿村の塩。大鹿村のある中央構造線の谷には、塩水が湧き出る場所がいくつもある。近隣の遺跡からは、製塩土器も発掘されている。

ここまでが、フィールドワークと資料から見えてきた事柄をつなぎ合わせて考えた、塩についての思索である。古の海と山の民について考えられることは他にもあるが、筋道を立てて書くには、もう少し確認が必要になるので、そろそろ終わろうと思う。

なぜ老翁が星崎にやってきたのか、いつやってきたかは、私には知る由も無いけれど、思うのは、山と海の民の交流に主従関係は無かったのではないだろうか。自然の理をよく知っていて、村が豊かになる仕事を生み出してくれた山に住む人びとへのお礼から始まったのが塩の道だったのではないかと思う。争いに明け暮れた為政者の栄枯盛衰は、後世まで饒舌に語られるけれども、多くを語らない善意による交流が忘れ去られていくのは、世の常。そのような古の善意の欠片を、足を使って拾い集め、つなぎ合わせてみる。すると、語り継がれる歴史に寄り添う人間本来の精神文化が、浮かび上がるのではないだろうか。

 

 

ルーツ・オブ・ソルト(中)

今年の2月。ざぜん草を見るために嵯峨坂の自生地を訪ねた後、昨年、時間が足らず入ることが出来なかった飯田市考古資料館を、あらためて訪ねることにした。

飯田市考古資料館は、上郷(かみさと)地区にある。この周辺は、縄文時代から弥生時代の遺跡が密集しており、今も新しい発見が続いている。また、5世紀後半~6世紀前半にかけて造られた前方後円墳、帆立貝形古墳は、飯田古墳群として史跡指定されていて、全国の流れに違わず、この地にもヤマト王権による政治支配が及んでいたことが想像される。

古墳群が造られた時代の以前はどうかと言うと、4~5世紀の遺跡では、東海地域との繋がりが強いとされる前方後方墳が、3基確認されている。多くの墓は方形区画で盛り土が低いものであるため、弥生時代の暮らしがそのまま続いていたと考えられている。

展示室に入り、目を引くのは、野底山(のそこやま)で発見されたヒノキの古木。年輪年代法の結果、弥生時代のものということが分かっていて、近づくと、ほのかに匂いがする。弥生人も嗅いだヒノキの匂いを嗅ぎながら、伊那谷に人が住み始めたのは、いつからだろうと思う。答えはすぐに、展示解説が教えてくれた。3~5万年前。つまり旧石器時代からである。

飯田山本では、竹佐中原(たけさなかはら)遺跡、石子原(いしこばら)遺跡という旧石器時代の遺跡が隣り合って見つかっている。二つの遺跡は、同じ旧石器時代の遺跡なのだが、成立していた時代が異なる。それは、石器の材料となっている石の違いから分かる。石子原遺跡から見つかった石器は、赤石山脈の石が使われている。赤石山脈は、少し離れた天竜川を越え、伊那山地も越えた、さらに先。遺跡付近では採取できない。天竜川近辺から持ってきたのだろうと考えられている。一方、竹佐中原遺跡は、出土する石器の傾向によって遺跡Ⅰ、遺跡Ⅱと分類される。Ⅰの石器には遺跡から少し南に下った阿知川で採取されたと考えられる、ホルンフェルス(変成岩の一種)という石が使われている。Ⅱはより進んだ石器文化で、Ⅰでは見られない黒曜石を用いた局部磨製の石器や、石器を研いだ砥石も見つかっている。

人類が日本列島に至り定着するまでの流れを大まかに整理してみると、現生人類の祖先、ホモ・サピエンスの最も古い化石は、20万年前のものである。アフリカで暮らしていた人類は、5~6万年前に一部の集団がアフリカを出る。ユーラシア大陸を東進した人類は、大陸の端にたどり着く。最終氷期に海水面が低下したため、シベリアから地続きになっていた日本列島に入り定着したのは、およそ3万年前とされている。石器を改良しながら、狩猟採集を続けた人類は土器を作るようになり、その模様から縄文人と呼ばれ、日本独自の文化を生み出していった。集落を作り、貝塚を形成し、集団生活を営んでいた縄文人は、3000年ほど前に日本列島にやってきた弥生人たちとも交流を始める。そして文化や技術が混ざり合い、狩猟採集と稲作、両方からの恵みを享受する生活様式が確立されていく。

下伊那地域では、約5000年前、縄文中期の大規模集落や、拠点集落が数多く見つかっている。弥生時代の遺跡も含めると、約550か所。天竜川流域は河岸段丘なので、川のそばの低位段丘には弥生遺跡が分布しているなど、土地を活かした集落形成が見て取れる。

つまり、伊那谷という土地は、日本列島に人類が定着した最初期から人の営みがあり、現在に至るまで、脈々と暮らしがつながっている地域。縄文人・弥生人のルーツという点は、諸説あるだろうが、土地に常に人がいて、他地域と交流しながら、独自の文化を築き上げた土地であることは確かだろう。椋鳩十が魅かれた山の民・山窩についても、考古学的観点から考えてみると、どのような人々だったのか、より具体的に見えてくるかもしれない。

江戸時代、尾張・三河で作られた塩は、山間部の文化圏である伊那谷に運ばれていた。人びとの交流が始まったのは、いつ頃からなのだろう。知多半島の小桝遺跡、西三河の南霞浦遺跡で塩がつくられていた頃から、伊那谷にも運ばれていたのだろうか。

名古屋と伊那谷をつなぐ塩の道を、運ぶときと逆向きに辿ってみる。伊那谷から足助までは、平谷、根羽、稲武を通る。根羽、稲武は古代、西三河の加茂郡に含まれていたそうなので、西三河は、ずいぶん広かったようだ。足助からは、巴川沿いには進まず、山の裾へ下りていくと、力石に出る。矢作川沿いを豊田市の中心地である挙母まで行き、濃尾平野を西へと進む。名古屋市天白区の平針を通って、天白川をわたり、観察会をしている八事裏山、音聞山を越えると川名に出る。塩の道は、ここで塩付(しおつけ)街道と交わる。〈下に続く〉