椋鳩十を読む会・9月

奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今回は、以下の内容で行います。

〇日程/2024年9月21日(土)13:00~16:30

〇場所/昭和生涯学習センター・視聴覚室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 昭和生涯学習センターの場所

〇参加費/大人500円、子ども(小学生以下)250円 ※資料代、会場代に使用

〇内容/①近況報告 ②課題図書「クマバチそうどう」 ③歌の練習

〇備考/・「クマバチそうどう」は「椋鳩十の小動物物語」(理論社)に収録されています。・歌について、今回はグランドピアノを借りて練習します。これまでに参加されている方は楽譜をお持ちください。練習する曲は、「昔なじみ」「祭の音」「心の海」「野いばら」「はなやかなひととき」「一つ星」(※当日配布)「獨りぼっちもいいぞ」(※当日配布)の7曲です。初めての方にはすべての楽譜を当日配布しますので、お気軽にお越しください。

 

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“Grasshopper singing in summer”

A grasshopper was found in the grass at a small shrine. Japanese katydid differ in shape between western and eastern Japan. Wing length vary from long to short. In summer, they are among the first to start singing in the grass. When autumn arrives, they stop singing and end their lives. [August 2024]

Gampsocieis buergeri

 

夏の鳴く虫の代表格、キリギリス。暑い夏の昼間に、草むらで「ギーース、チョン」と鳴いています。立秋が過ぎ、秋の鳴く虫があらわれ出す頃、生を終えて、その音は聞えなくなります。西日本と東日本では種が異なります。

 

歩く人

夏も真っ盛りとなり、連日うだるような暑さが続く。そろそろ髪を切ろうと思い、いつも行っている金山の散髪屋さんに行くことにした。金山は、熱田の北の端。JR、名鉄、地下鉄の各線が交わる金山総合駅があり、南北を結ぶコンコースは毎日、たくさんの人が行き交う。北口側には、若者たちでにぎわう商業施設があり、居酒屋や飲食店も多い。南口側は、やや歩く人の数が落ち着いているが、こちらも飲食店が並ぶ。かつてボストン美術館が入っていた高層ホテルも南口側にある。駅前広場では、物産展などのイベントが行われていることも多い。家から一番近くの繁華街が金山である。

熱田伝馬町の交差点から、熱田神宮東側を北へと走る。そのまま走っていけば、大須があり、パルコと松坂屋が並ぶ矢場町に着く。金山は、ずっと手前。10分かからず、到着する。

金山駅付近は、朝の交通で混雑していた。道路工事も重なって、なかなかスムーズに進まないなか、赤信号で止まった。何とはなしに道を歩く人たちを眺めていると、看護・福祉系の専門学生と思しき服装の女性が、マンションの入口に目を落とし、すっと道を逸れた。何かを拾いあげる。辺りを見回して、街路樹に目を向け、近づく。木に何かを引っ掛けているようだ。そのまま何事もなかったように、また歩き始めた。車道からは、掛けられた物が何か見えなかったが、たぶん、引っ掛けられる部分があったので、持ち主が探しに戻って来たときに気づき易いよう、木に掛けたのだろう。何かと気が回らない朝の時間帯に、ちょっとしたことに目が留まって、気遣える人。掛けてある落としものに出会うことはあっても、落としものを掛けている人に出会うことは、あまりないので、爽やかな気持ちになった。

毎日のように歩いていると、いろんな人に遭遇する。一番多いのは、道を聞かれること。神宮を参拝した後のご夫婦に地下鉄の駅を聞かれたり、中国人の若者が門に気づかず通り過ぎてしまって、神宮への入り方を聞かれたり。バス停の場所を聞かれることも、よくある。

近所には公的機関が多いので、場所を聞かれることもある。法務局、公証役場、年金事務所など。「どこだったかな?」と考える場合もあるが、頭の隅に家族や人との会話が残っていて、大体思い出す。場所の記憶はおもしろく、普段から見ていても、一向に記憶に定着しない場所もあれば、一回聞いただけなのに、すぐ覚える場所もある。場所の記憶力は、生きものが生をより充実したものにするために、必要な能力だと思う。動物や鳥、昆虫も、自分の生息場所周辺の環境の把握と、変化に合わせた適応は必須だ。場所を記憶に定着させる力と、人生における役割について、突き詰めて考えていくと、深い思索ができる気がする。

ある夜、いつもの散歩コースを歩いていると、道端で若い男性に、「あの、すいません」と声を掛けられた。近づくと、ポストの前で立ち止まっている。手に持った封筒をこちらに見せて、「どっちに入れればいいんでしょうか?」と聞く。「どっち? ええと、何か特別な郵便?」「いや、普通の封筒の」「速達?」「ちがいます」。「じゃあ、こっち。狭い方でいいと思いますよ」。若者は嬉しそうにお礼を言って、投函し、すぐに立ち去った。

こんなこともあった。学校の合唱コンクールなどでも使われる、名古屋市教育センターという施設が、通りを一本入った裏手にある。そこは鳴く虫の観察コースでもあり、一年を通して、よく歩く。夕方の帰宅時には専門学校の学生が駅に向って、たくさん歩いている。もう少し遅くには、近くの会社に勤めている人たちが歩いている。師走の午後8時頃、歩いていると、教育センターの駐車場で、会社員という感じの女の人が寝ていた。暗いので、一瞬、目を疑ったが、やっぱり寝ているので、近づく。大きなリュックを頭に敷いている。「大丈夫ですか?」。肩を軽く揺する。反応がない。もう一度「大丈夫ですか?」と声を掛けると、「はっ、ええ、らいじょうぶです……」とにこやかに、怪しい呂律で言い、目を閉じた。理解する。酔っ払いだ。かつて、どれだけ、この不毛な言葉のやり取りをしてきたことか。ため息をつきたくなるが、そうは分かっても、寒い冬に、このまま寝込んでしまっては、命にかかわると言えなくもない。近くの交番を思い出そうとしたが、一番近くにあった交番は、ずいぶん前に廃止された。仕方がないので、110番した。

熱田に限らず、町には、そこで生活をしている人たちの考えや営みが、良くも悪くも、必ずあらわれている。自分が暮らしている町を歩くのは、昼でも夜でも楽しい。だからこそ、誰にとっても、いつでも安心して、風と歩みを楽しめる町であってほしい。

 

はなやすり出版文化を考える会(8/25)内容変更

8月25日(日)開催の「はなやすり出版文化を考える会」の内容を変更します。

第三回となる今回の内容は、

〇題目1「文学者リスト完成版の解説と、文学誌刊行までの流れ」
〇題目2「出版の拠点『熱田』を知る」

と題し、考えます。

新しい文学誌の刊行に向けて、取り上げるべき文学者のリストを4月から作成してきました。8月3日に無事完成し、40人の文学者(表現者・学者)のリストが出来上がりました。以下のPDFファイルをご確認ください。

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これらの文学者・表現者の作品や学者の著書、また、エッセイや言葉を通し、どのように自然を見つめていたのかを探りながら「人と自然のかかわりを文学的にアプローチする」というのが、新しい文学誌の主旨となります。ここに取り上げた文学者たちは、自然にまつわる話だけを書いていたわけではありません。他にも「この人は入らないの?」という人物が思いあたるかもしれません。さまざまな側面から考えて、21世紀の今、あらためて、注目されるべき文学者(表現者・学者)として、この40人を選びました。第三回では、選んだ理由(今回は8人分)と、文学誌の創刊に向けての今後の流れを具体的に考えてみます。

題目2では、出版拠点となる熱田について考えます。具体的には、どのような地形か、どのような歴史的背景があるかなどを資料をもとにお話します。また、当日の午前中に、フィールドワークを行います。現在の熱田は、どのように道が繋がり、周辺がどのような環境なのか、実際に車で回ってみます。

興味のある方は是非ご参加ください。

 

<会場>

名古屋国際会議場 会議室433

会場のホームページはこちら

<日時>

2024年8月25日(日) 13:15開始 16:30終了 ※途中、休憩を入れます。

※フィールドワークは、10:00開始 11:30終了です。集合場所は車・電車ともにアクセスしやすい場所を決めて、直前にお知らせします。

<参加資格>

①1977年1月1日以降生まれの方

②出版に関する知識は、まずは必要ありません。豊富な知識よりも出版について興味・関心があり、ご自身の様々な体験を通した経験をもとに、話し合いに参加できる方を歓迎します。話し合いに参加して、今、取り組んでいる活動や、携わっている仕事に活かしたい方、出版社がつくられていく過程を目の当たりに出来るという稀な機会を一緒に楽しみながら考えたい方も、ぜひお越しください。

<参加費用>

1,500円(会場費、資料費等に使用します)

<定員>

15名

<懇親会>

終了後、懇親会を予定しています(17:30~19:00、場所:コメダ珈琲店)。お気軽にご参加ください。

 

終了しました。ご参加いただきありがとうございました。

 

SCENE in the pen. 075

“Crabs in holes on the beach”

Summer beach in the Chita peninsula. There were many holes in the sand. Numerous balls of sand around the hole. I decided to move away from the hole and see what happened. After a while, a crab showed its face from the hole, looking around. Then it went outside and started making sand balls. But when I moved just a little, it sensed my presence and instantly hid in the hole. It was just a moment. [JULY 2024]

 

夏に海岸に行くと、浜辺に無数の穴が開いていて、まわりに砂団子が散らばっているのをよく見かけます。スナガニの仲間です。穴の中で暮らし、砂についた栄養分を食べたあと、団子にして捨てます。とても敏感に周囲の気配を察知するので、なかなか姿が見られませんが、近くで静かに待っていると、顔を出します。

 

和紙と風景(下)

藤井達吉の随筆に端を発した、和紙の産地への訪問。昨年、「知多半島をめぐる」の写真を竹和紙にプリントして写真展を開いたことで、注目していた和紙であるが、徐々に自分のなかで、自然と寄り添う重要な伝統産業であるという実感を持ち始めてきた。引き続き、7月上旬に岐阜の美濃和紙の里を訪ねることにした。

越前市に行った時と同じように、都市高速から一宮に向かう。名神高速道路に入り、すぐに東海北陸自動車道へと進む。岐阜の山中、郡上八幡やひるがの高原に向かう道路で、さらに進むと白川村、そして富山へと至る。美濃和紙の里会館がある美濃市は、山地に入っていく入口あたりに位置する。美濃市の隣りは刃物の町として知られる関市だが、この二市の位置は少し複雑だ。関市は、長良川のいくつかの支流が合流する平地が市の中心。そこから東側は、津保川上流の谷あいを市域とする。西側は、しばらく武儀川沿いが市域となるが、武儀川上流は途中から山県市になる。さらに山をはさんで北側の谷あい、板取川の流れる洞戸地区も関市になり、「モネの池」と呼ばれる名所がある。板取川も長良川の支流で、板取川と長良川が合流するあたりが美濃市の中心地になる。古い町で紙屋が軒を並べる。板取川の流れは、関市から美濃市に入り長良川と合流し、再び関市を流れる。このあたりを車で走っていると、川のある風景はよく似ていて、気づかないうちに、市をまたいでいるのだ。

今の時期は、すでに鮎釣りが解禁されている。板取川沿いを走っていると、ターコイズとラピスラズリの中間といった色合いの川に入って、釣りをしている人が見えた。長良川の小瀬鵜飼も今がシーズンだ。爽やかな夏の風景を走りながら、美濃和紙の里会館に到着した。

美濃和紙は、1300年の歴史を誇る。中でも伝統的な製法や用具などの条件を満たしたものは「本美濃紙」と呼ばれる。2014年、ユネスコの無形文化遺産に島根県浜田市の「石州半紙」と埼玉県小川町と東秩父村の「細川紙」とともに「和紙:日本の手漉和紙技術」として登録された。ずいぶん前に、京都から山陰本線を鈍行に揺られて、数日間かけて旅したことがある。島根では宍道湖のある松江で宿泊し、翌日、大田市の石見銀山を訪ねた。その頃はまだ、ユネスコの世界遺産に登録申請している最中で、静かな町の至るところに、たくさんの幟が立っていたのを想い出す。浜田市はそこから、さらに西にあり、柿本人麻呂が人々に紙漉きの技術を伝えたとされるそうだ。

群馬県とのほぼ県境に位置する埼玉県の小川町や東秩父村には、まだ縁が無い。ただ、本を読んでいて偶然知ったのだが、生糸貿易で知られる明治の実業家であり、茶人でもあった原富太郎(三渓)の義理の祖父、善三郎の出生地がこのあたりにある。豪商の生まれで、和紙が村々で作られていた江戸末期、近隣の村に和紙を買い付けに行き、町へ持って行って売ることで商売を覚えたという。和紙の産地や、石材の産地に囲まれた環境に育ったことが、富岡製糸場を経営するという、後の縁に結びついたのかもしれない。

さて、和紙と一概に言っても、出来上がるまでの工程には土地ごとの特色がある。美濃和紙は、楮の黒皮を剝いで白皮にしたあと、自然による漂白と、不純物を取り除く目的で、板取川の清流にさらした。現在は、各工房の水槽でさらすそうだ。越前ではどうなのだろう。山あいの集落で、近くに清流が無いから、昔から、工房に水槽を作ってさらしていたのだろうか。もう一つは、漉いた紙を干す際に使う一枚板の素材。越前では、イチョウの板を用いるが、美濃はトチノキの板。使われる木材が異なるというのも面白い。展示の最後には、和紙を作るための道具がどのように作られているのか、映像で紹介されていた。美濃には、和紙を作るための道具を作る職人も、みな暮らしているそうだ。土地全域で環境を考え、自然の恵みをどのように活かしていくか考えながら、人々が繋がっている。かつては、それぞれの和紙の里に、土地ならではの自然を活かした工夫があったのだろう。だが、紙漉きを継承していくのは大変なようで、ラックには他地域の伝統工芸士募集のチラシが差してあった。

和紙産地の訪問は、生活を取り巻く自然を観察し、理解しながら、人が仕事を営むという、これからの時代を考えていくためのヒントが、たくさん詰まっていた。「自然を減らし過ぎずに、巡らせながら、何を、どのように活かし、人の生活を支える仕事にするのか」。日本が世界に誇る紙漉きの文化について、あらためてしっかりと知っていくことは、きっと、この問いに対する答えに繋がっていくはずだ。

 

 

和紙と風景(中)

6月下旬、少し足を伸ばして、越前市に行くことにした。目的地は三か所。「ちひろの生まれた家」記念館、梅花藻の自生地、そして越前和紙の里である。

福井県は、学生の頃に友人が住んでいた金沢を訪ね、京都に向かう途中、電車で通過したことがある程度。朝から家を出発し、都市高速で一宮へ抜けて、名神自動車道に入る。琵琶湖のほとり、米原から京都とは反対側に向かう、北陸自動車道に入る。道路の向こう側には青い田んぼが広がる。その先には伊吹山。岐阜の山々が平野へと広がっていくところを、ぐるっと回り込むように、日本海側へと向かっていることを実感する。長浜から余呉湖のほとり、賤ヶ岳を通過すると、福井県。敦賀ジャンクションを金沢方面へと進む。こちらも同じように田んぼが広がっている。路傍では高架下から伸びたネムノキが満開だ。やがて、眼下に、日野川が見えてきた。名古屋から走ること、2時間ちょっと。越前市に到着した。

武生の古い町並みは、飯田の町と雰囲気が、なんとなく似ていた。町が山に囲まれ、築何年だろうかと考える古い家々が並ぶ。高い建物は見あたらない。新しい住宅も多くない。懐かしさの漂う町。そういった町に実際に住んだことは無いのに「懐かしい」と思うのは、日本映画が好きだったからだろうか。それとも、長い年月、町に住む人々の移ろいを見てきた家々の記憶が、町を訪ねる人のルーツに働きかけるからだろうか。

「ちひろが生まれた家」記念館は、越前箪笥の職人町であるタンス通りのそばにあった。古い町屋がきれいに残されている。入館料を支払い、二階の企画展示を見て、町家を奥へと進む。廊下に、いわさきちひろの母・文江について、パネルで説明がされていた。文江は、奈良高等女学校で学んだ後、武生に出来たばかりの高等女学校に、博物、家事の教師として赴任した。聡明で面倒見も良く、女学生の憧れの的だったそうだ。ちひろが生まれ、東京へ引っ越すときには、その功績に、町長から感謝状が贈られた。後年、武生を訪ねた時の写真に、二人が写っていた。お母さんの眼は、若々しく輝いていて、隣のちひろは、お母さんのそばで、ちょっと恥ずかしそうに座る子どもの眼をしていて、印象的だった。

昼食をとって、梅花藻の自生する治佐川に向かう。広がる田園の道を走り、到着すると、カメラを水路に構えている人がいた。周りは工場。水路では、鮮やかな緑の梅花藻が緩やかな流れに揺れていて、白い梅に似た花が水面に顔を出していた。ここは、トゲウオの仲間の淡水魚、トミヨの生息地でもあるそうだ。トゲウオの仲間は、きれいな水に棲み、水草を利用して巣をつくり、産卵する。川を覗いてみたが、トミヨは見つけられなかった。

越前和紙は、五箇と呼ばれる五つの集落で作られている。産地としての特徴は、多くの産地の場合、清流に沿って工場が分散しているが、越前は狭い谷あいに工場が集中している。ほとんどが家人が営む少人数の製紙工場。専業なので、一年中、和紙が作られている。

もう一つは、和紙の種類が豊富ということ。紙の文化博物館では、実際に越前和紙が展示されている。書道や日本画に使われる画仙紙。懐紙などに使われる檀紙。はがきや封筒に使われる紙や出版に使われる印刷用紙。模様の付いた鳥の子紙は、襖紙などに用いられるが、これらの模様紙もとても種類が多く、「漉き掛け」「漉き入れ」「落水」「孔雀」「飛雲」など模様を出すための技法に名前がついている。日本銀行券、いわゆる、お札も越前和紙の技法が採用されているそうだ。

紙漉きを生業にしていた古い家屋を活かした、卯立の工芸館に入る。風格のある木造家屋。土間を上がると、畳に紙で作られたマットが敷いてある。乗ると、しっかりしていて丈夫。紙の印象が変わる。売店のトレイも紙製。手に取って軽くノックすると、コンコン、と固い反応。作業場では、若い伝統工芸士の方が、紙漉きの工程を見せてくれた。これまでにも説明の書かれたパネルや本も読んだが、実際の工程を目の前で見ると、よく分かる。簀桁を繊維と「ねり」の入った水に漬け、持ち上げる。繰り返すと、その度に白さが増す。漉くときは、その透明度で紙の厚さを見極めるそう。0.1ミリの単位で漉き分けるという。

最後に、越前和紙の由縁である紙祖神・川上御前を祀る岡太神社・大瀧神社を訪ねた。杉の樹高がとても高い。複雑な造りの社の縁の下を覗くと、アリジゴクの巣があった。干上がった池の低木には、モリアオガエルの泡のような卵塊。白い新鮮なものと、茶色がかり、濁ったもの。池の水は張り直すのだろうか。そんなことを考え、帰路についた。<下に続く>

 

 

和紙と風景(上)

5月上旬、豊田市にある小原和紙のふるさとを訪ねた。きっかけは一冊の本。少し前に、編み物・手芸の先生をしていた祖母の書棚に一冊の本を見つけた。濃い緑色の表紙をした薄手の冊子で「藤井達吉随筆集」と書いてあった。碧南市に、この人の名前を冠した現代美術館がある、ということは知っていて、パラパラとめくっていると、「芸術を志す者は、よく自然を見つめることが大切」という意味合いの言葉が書いてある。興味が湧いて、調べてみると、小原和紙を復活、普及させたことで知られる工芸家とのことだった。

旧小原村は矢作川の上流域にある。途中、笹戸温泉近くでカヌーをしている森下さんたちを訪ねる。矢作川の水はきれいで、強い陽射しを受けて川面が輝いている。風も心地よいので、カヌーを操り、瀬や淵を見極めながら川を下るのは、とても気持ちが良さそうだ。石をひっくり返すと、カワゲラの幼虫がいた。近くでは、翅が褐色のカワトンボが休んでいた。

笹戸から小原までは、車で10分ほどである。山あいの田んぼを横目に見ながら、走る。到着し、駐車場に車を止めて、雑木林が隣接する敷地を歩くと、和紙の原料となる木々が植えてあった。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)。コウゾは、これまでも観察地で、よく出会っている。知多半島では、植大で観察会をしたとき、車を止めた草むらのそばにコウゾが生えていた。名古屋市内の雑木林でも見かける。クワ科の木で、葉が、桑の葉によく似ている。雌雄異株で、初夏、赤紫色の花火のような雌花を付ける。ミツマタは、枝が三つに分かれて伸びるので、「みつまた」と呼ばれるが、あまり出会っていない。市内では植物園に植えられている。飯田市の麻績神社の近くでも栽培されているのを見かけたが、知多半島では見かけない。生育環境として適していないのかもしれない。

小原和紙美術館に入る。建物は、昔は町ごとにあった広い公共施設が思い出されて、懐かしく感じた。一階では、全国各地の和紙の見本を見ることができる。和紙の産地は、現在、知られているだけでも70か所を越える。かつては、もっと多かったのだろう。日本文化は和紙産業とともに脈々と繋がって来た、と思えてくる。ちなみに、現在、和紙産業の中心で、全国に知られる三大和紙とされているのは、岐阜の「美濃和紙」、福井の「越前和紙」、高知の「土佐和紙」である。

二階では、常設展示がされていて、藤井達吉の工芸作品を見ることができた。展示説明には、旅の多かった生涯や、戦中、縁のあった小原村に疎開し、村人たちと交流したこと、戦後になり、村に小原総合芸術研究会を作り、廃れかけていた小原和紙を使った工芸品をつくることを勧め、工芸家たちを育てたことなどが記されていた。素朴な展示から、村の人たちが藤井達吉を慕っていたことが伝わってきた。

美術館を出て、和紙工芸体験館に立ち寄り、陽が傾き始めた道を駐車場へと引き返す。周辺には雑木林を歩く遊歩道が作られていて、崖に沿ってツツジの花が咲いていた。ゆっくり時間をかけて歩くと気持ちよさそうな場所。駐車場のヒトツバタゴは満開で真っ白だった。その傍の水路に、また、カワトンボがいた。矢作川で出会ったものよりも、翅が透き通っていて、赤い縁紋が目立つ。翅の縁は、うすく褐色がかっていた。

5月下旬、熱田神宮のそばにある、紙の専門店「紙の温度」で和紙に関するセミナーがあるということを店頭で知り、勉強しに行くことにした。家を出るのが遅くなってしまい、小雨のなか、時間ギリギリに到着すると、部屋は40人ほどの聴衆で満席だった。

「和紙と洋紙の違い」をテーマに、技術顧問をされている先生のお話が始まる。まずは、紙の歴史から話が進んでいく。江戸時代の職人は、献上のため紙の製法は教えられたが、使用目的は知らされず、漉いた紙を何に使うのか知らなかったこと。明治時代に入り、献上が無くなったため、和紙を作る地域が減ったこと。紙の製法についても、和紙と洋紙の違いを、丁寧に説明される。和紙を漉くときに「ねり」をつけるために使われるのはトロロアオイやノリウツギだが、美男蔓(サネカズラ)を使おうとした時代があったこと。18世紀に発明され広く使われていた、繊維を分散、叩解する機械、ビーダーのこと。ご自身の豊富な経験をもとに話をされるので、自分の日々の見聞と重なり合って深く伝わる。和紙は、使用目的をもたない「自然紙」、洋紙は、使用目的に合わせた「人工紙」というまとめで、充実した2時間のセミナーは終了した。<中に続く>

 

第二回出版文化を考える会・まとめ

6月29日(土)、出版文化を考える会の第二回目を開催しました。青空に夏らしい雲が浮かぶ良い天気で、名古屋国際会議場のある白鳥公園では、草むらにネジバナが咲いていました。今年は市内でも市外でも、長い期間いろんな場所でネジバナを見かけます。

今回は、「文学者を知る1、2」として「藤井達吉」「いわさきちひろ」を取り上げました。藤井達吉は愛知にゆかりの深い工芸家、いわさきちひろは、子どもの絵をたくさん描いた絵本画家です。ともに文学者ではありませんが、自然をよく観察し、自分の表現に取り入れるという点では共通しています。

「いわさきちひろ」は、自然によく親しみ、イマジネーションを働かせて、「子どもと平和」という自身の表現に昇華しました。同じように自然に親しみ絵本を描いた画家に、昨年逝去された甲斐信枝さんがいます。「雑草のくらし:あき地の五年間」(1985年、福音館書店)など、観察した自然を科学的、直接的に絵に表現された方です。自然を丁寧に捉えるためには、文学的なアプローチと科学的なアプローチの両方が必要です。この二人の画家の作品にたくさん触れて、比較してみると、よく分かるのではないでしょうか。

もう一題は、出版流通の仕組みと、本を作ることについてお話しました。これまでに考えてきた、出版流通や出版社運営の現状と問題点を話したあと、本の制作についての基本的なことがらなどを説明しました。

資料(PDF)はこちら → 第二回出版文化を考える会・資料

次回は、8月31日(土)に開催予定です。次回のテーマは、「熱田を知る」「文学者を知る3、4」です。書肆花鑢の拠点である熱田の土地と文化について、考えます。まずは、午前中(10:00~11:30)にフィールドワークを行います。古墳や遺跡など歴史的に重要な場所、書店、商店街、川などを車も使って巡る予定です。集合場所は、車でも電車でもアクセスしやすい場所を考えています。フィールドワーク後、一旦解散して昼食をとり、午後は、通常通り13:15~16:30に国際会議場で話し合いを行います。「文学者を知る」は「椋鳩十」「早船ちよ」を取り上げる予定です。興味のある方は、是非ご予定ください。

 

椋鳩十を読む会・7月

奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今回は、以下の内容で行います。

〇日程/2024年7月20日(土)13:00~16:30

〇場所/昭和生涯学習センター・第2集会室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 昭和生涯学習センターの場所

〇参加費/大人500円、子ども(小学生以下)250円 ※資料代、会場代に使用

〇内容/①話題「大鹿村、伊那谷の話」②課題図書「アルプスのキジ」③歌の練習

〇備考/・「アルプスのキジ」は「椋鳩十の野鳥物語」(理論社)に収録されているほか、いくつかの本で読むことができます。・歌について、これまでに参加されている方は楽譜をお持ちください。初めての方には、当日配布します。