揖斐谷、春日谷で考える(上)

揖斐(いび)川。学校で習う東海地方の川というと木曽三川が代表的であるが、三川のうち一番西側を流れる川が揖斐川である。「揖」は「ゆう」とも読む。漢字の意味は、会釈する(胸の前で手を組んでするお辞儀のこと)、あつめる。「斐(ひ)」は、うるわしい、うつくしい、あやがあるといった意味をもつ。三川の河口は伊勢湾。愛知と三重の県境を海へと流れ出る。川の水が流れ出すところはどこか考えてみると、岐阜・長野に広がる山々に行きつく。

三川のうち、もっとも東側を流れる木曽川を遡ってみる。愛知と岐阜の県境、恵那・中津川、中央アルプスの伊那谷とは反対側にあたる御嶽山のふもとを北上し、諏訪湖の西にある鉢盛山が水源になる。諏訪湖は、伊那谷を流れる天竜川の水源。伊那谷、美濃、三河山地の接点・恵那山の西には名古屋市内を流れる庄内川の水源がある。三川の中央を流れる長良川は、岐阜市内、美濃市を通り、郡上・白鳥の北、大日ヶ岳が水源。揖斐川は、濃尾平野の西の果ての養老山地のふもとを通って大垣へと上り、揖斐川町から山へと入る。徳山ダムのさらに先、福井との県境に聳える冠山が水源地となる。

10月12日、揖斐川町に行くことにした。春に、熱田の「紙の温度」で、長年、竹紙(ちくし)を作られていた先生の講座があった。竹の活用については以前から関心があった。竹を漉くのは難しいと思われがちだが、「難しく考えず、まずはやってみてください」と気さくにお話され、紙漉きの工程や竹の特徴など、とても勉強になった。その中で、揖斐川町に昔の紙漉きの道具が保存されているというお話があった。興味を引かれて、すぐに行ってみようと思ったのだが、なかなか身動きが取れないまま、夏が終わってしまった。秋になり、せっかく思い立ったのだから年内には行っておこうと、数日前に決めて、バタバタと熱田を出発した。

揖斐川町に行くのは、2回目。前回は、7年前になる。当時「HANAYASURI」を作り始めて間もない頃で、毎回特集テーマを決めていた。そのときのテーマは「薬になる植物と人の営み」だった。春日村は伊吹山地にある。伊吹山には280種に及ぶ薬用効果のある植物があり、伊吹百薬として知られた。谷あいの集落である春日村は全国でも有数の薬草の産地で、江戸時代の本草学者・飯沼慾斎(いいぬまよくさい)がフィールドワークを行い、植物採取した土地。1856年から62年にかけて飯沼慾斎が著した全20巻の大著「草木図説」は、後進の植物研究者に大きな影響を与えた。明治に入ると増訂版が出版され、その第三版は、牧野富太郎が手掛けている。せっかくなので、春日村も再び訪ねることにした。

最初に揖斐川町の平地にある三輪神社を訪ねた。揖斐川総鎮守の古い社で、この土地で水田を開発し農耕に従事した三輪族という人々に縁のある神社。晴れて快い日で、車を降りると、参拝している人たちが数組いた。手水舎には、白、オレンジ、黄色の花々が浮かべてあった。拝殿でお詣りし、参詣順路に沿って歩く。祭礼の日には、子ども歌舞伎があるそうで、境内に歌舞伎舞台があった。そばには、さざれ石がある。さざれ石は「君が代」にも詠われる石だが、揖斐川町が原産。知多半島でも、こちらから持って来られた石を見かける。前回訪ねた時には、さざれ石のある公園も訪ねた。山地の奥まった場所だったが、舗装された道を行くので、秘境を訪ねるような感じではない。日が傾き始めた時間帯だったので、斜陽に川の水面がきらきら光り、水の音と鳥の声が響いていたのを覚えている。

三輪神社は、うさぎに縁のある神社である。うさぎというと因幡の白兎。因幡の白兎というと大黒様。うさぎをなでて、大黒様にさわり、石の階段を上がる。上がってみると、地面がきれいに苔むしていた。足もとを見ると、フユノハナワラビが生えていた。いくつも生えているので、自然と足もとに目がいく。ふと燈籠の下にハナヤスリの群落を見つけた。よく見ると葉が細いので、ハマハナヤスリだろう。なかなか出会えないと思っていたハナヤスリの仲間と出会えた。境内には他にもいくつかハナヤスリの群落があった。ハマハナヤスリは最初のものだけで、他は、名古屋でもよく見かけるコヒロハハナヤスリかコハナヤスリ。しばらく観察して地面から顔を上げると、アサギマダラがひらひら飛んできた。移動の最中だろうか。木々の合間を小型のヤンマが飛んでいる。クサヒバリの音が樹上に聞こえた。

神社のそばにある池を観察して駐車場に戻ってくると、毛並みのきれいなネコが欠伸していた。青い目のハチワレ。裏山に続く道を歩いても楽しそうである。また来たい場所だなと思いながら、山あいの道の駅に隣接する徳山民俗資料収集庫へ向けて出発した。<中に続く>