SCENE in the pen. 083

“Spring snow”

In March there is snow in the fields and on the street. Thunberg’s meadowsweet has many small and white flowers on its branches. They are beautiful, like snow falling out of season. Most of ones we see are planted, but the native ones grow along the banks of mountain streams. [March 2025]

Spiraea thunbergii

 

街路や公園にも植えられており、春になると白い花が咲くユキヤナギ。雑木林と隣接する公園などでよく見かけます。ホシミスジの食草の一つです。

 

漢字と風景(下)

話は一旦、丈山苑を訪ねた日に戻る。

安城市の丈山苑をあとにして、油ヶ淵を見ながら、車を碧南方面へと走らせる。目的地は藤井達吉現代美術館。常設展示は、第4期で「いただきます! 収穫の秋」をテーマに、ゆず、やまいも、柿といった秋を代表する収穫物の墨画などが展示されていた。

二階では、藤井達吉を敬愛し、碧南に縁のある作家の方々による作品が展示されていたので、上がっていくと、受付に座っていた方に、「どこでこの展示を知られましたか?」と声をかけられた。「藤井達吉が好きで、一階の常設展示を見に来たんです」と応えると、「私の父は藤井先生の弟子だったんです」とおっしゃる。この方のお父さんは、小原村の研究会で指導を受けており、子どもの眼に先生は、にこにこ笑って気のいい好々爺だったそうだ。「作品を見ていると、とても丁寧に自然を見ていたのだなと、よく分かります」と伝えると、「父が話していたのですが、夜寝ていると急に先生に起こされたそうです。『こんな良い月が出ているのになんで寝てるんだ!』って」と、笑いながら、エピソードを教えてくださった。いつでも身近な自然の変化を観察し、その美しさを敏感に感じ取っていたのだろう。

さて、前述の「やまいも」の墨画には達吉による歌が書き込んである。「や末非東駕 も傳来て久連し い母乃な駕左餘 面都羅し美尓川ゝ い久日見傳を理(山人が 持て来てくれし 芋の長さよ 珍らし見につつ 幾日見てをり)」。

達吉は歌や言葉を作品に書き入れることがよくあり、墨画だけでなく、絵巻、色紙などの作品も数多く残している。1500点近い作品を所蔵する愛知県美術館には、それらの絵巻、色紙が所蔵されている。通常の変体仮名だけでなく、独自の変体仮名も用いて書いているため、時間はかかりながらも、読み下しはかなり進んでいるそうだ。それらの題は、絵巻「和紙漉込」、絵巻「はるの野路」など、自然の風景や藤井達吉らしい言葉が並んでいるので、いつか展覧会で大きく展示していただけると、とても嬉しい。

達吉が影響を受けた色紙は、継色紙と呼ばれる古筆。ブリタニカ国際大百科事典によると「もとは白、紫、藍、黄、茶などに染めた料紙を粘葉装にした冊子であったが、1906年に1首ずつ分割されて現在の形になった。色紙を2枚継ぎ合せたような見開きの2ページに短歌1首を散らし書きにしているのでこの名がある」というもので、平安時代の能書家である小野道風(894~966)が書いたとされるが、確証はないそうだ。

春日井市は小野道風ゆかりの地である。11月上旬、春日井文化フォーラムで開催していた展覧会「金子みすゞの詩 100年の時を越えて」を観たあと、時間があったので、春日井市道風記念館に立ち寄った。小野道風というと、「柳に跳び付く蛙」の話がよく知られている。柳の枝へ何回もあきらめずに跳び、とうとう柳に跳び付いた蛙を見て、あきらめずに努力すれば、自分も書の道で大成できると気づいた、という逸話だが、江戸時代に創作された話だろうと考えられている。二階の展示室では、市内の小中学生の書道展が開かれており、自分にはとても書けないだろう、きれいな楷書の文字が書かれた半紙が、部屋いっぱいに展示されていた。ほのかに墨の匂いがして、懐かしく、心地よかった。

平安時代は、中国由来の漢字による文化から発展し、日本独自のかな書きによる文化を築いていこうという気運が生まれ、道風は和様の書を創始して、最前線で文化をけん引していく。和様の書は、藤原佐理、藤原行成へと受け継がれ、以降の書道に大きな影響を与えた。

万葉の時代は、身近な自然の様子に心を重ねて、純粋で素朴な歌が数多く作られていた。しかしまだ、かな文字が無かったため、漢字(万葉仮名)で書き残した。平安時代になり、文字はより言葉を使う人々に寄り添うようになるが、歌自体は技巧が先行し、自然との関りは薄らぐ。道風はどのような自然観で、書の道を歩んでいたのだろうか。

亀崎の風景を漢詩にした浅野醒堂は、江戸末期、尾張国に生まれた漢学者で、明治から昭和のはじめまで、愛知師範学校(現在の愛知教育大学)で漢文、書道を教えていた。漢詩人としては、全国的に認められる存在だったという。また、小野道風の顕彰活動にもかかわっていたそうだ。さらにその生まれた場所が、七里の渡しのそばにあった熱田旧浜御殿屋敷というのも興味深い話だが、浅野醒堂についての詳しい話は、また別の機会に。

 

 

漢字と風景(上)

昨年11~12月にかけて、色んな場所を訪ねていた。せっかくなので、備忘録的に場所だけ列記してみると、半田市、武豊町、常滑市、日進市、名古屋市緑区、阿久比町、知多市、南知多町、名古屋市北区、浜松市、恵那市、美浜町、名古屋市東区、中津川市、飯田市、春日井市、名古屋市昭和区、名古屋市南区、安城市、碧南市、名古屋市天白区、いなべ市、名古屋市中区、東京都墨田区、横浜市都筑区、名古屋市千種区。並べてみると、熱田を真ん中に東西南北を訪ねている。移動することは多いが、これだけ短期間に集中して移動するのもめずらしい。知多半島の各市町や西味鋺のある北区など、観察や撮影で複数回訪ねている場所もあるので、延べだともう少し多い。ずいぶん方々、行ったものだと思う。

この時期、興味が生まれてきて、気にし始めたものに、漢詩がある。きっかけは、安城市の丈山苑を訪ねたとき、石川丈山(1602~74)という江戸初期の漢詩人について知ったこと。丈山は徳川家康に仕えており、単騎で敵将の陣に討ち入り武勲を上げる。だが、他の近習を差し置いて、討ち入る行為は禁じられていたため、任を解かれ、その後は広島での浪人生活ののち、京都の一条寺に詩仙堂という山荘を造営し、隠遁生活を送る。

出生地である安城の丈山苑は、その詩仙堂を模してつくられた庭園。訪ねた日は、紅葉がきれいで、庭園に建てられている詩仙閣までの石畳では、石畳と小川に散った紅葉を撮影している人もいた。詩仙閣のなかには漢詩の掛け軸があり、庭園には、石碑がいくつも建てられている。掛け軸にしても、石碑にしても、一見して読むことは、私にはできないのだが、漢字は表意文字。文字の連なりを追うだけでも、なんとなく、こういう情景を詠んでいるのだろうと想像できるものもある。

庭園を奥まで行くと、丈山の石像が建てられていて、そのすぐそばに、「立園蝶止肩」と彫られた石碑があった。微笑ましくなって、家に帰ってから、もらった解説文を読むと、読み下し文は、「園に立てば蝶肩に止まる」。四季を通して観察会をしていると、鞄にトンボが止まったり、子どもたちの服にホタルが止まったりという場面に、よく出会う。南知多で鳥の観察をされている方は、じっとしていたら頭にジョウビタキが乗ったそうだ。

武士の世の武勲や隠遁生活に想いを馳せるのは難しいけれど、漢詩にあらわれた自然へのまなざしから、時代は違えども、私たちも目にしているような身近な自然に、自分の心境や思索を重ねていた人だったのだろうと考えた。

年が明けて、2025年になり、半田市の亀崎を訪ねた。古くは海運業、水産業、醸造業で栄えたが、現在は静かな港町である。知多半島と西三河を分ける境川の河口付近にあり、その突端には神前神社という神社がある。

ここでちょっと、鳥になった気分で空に上昇し、北へ4キロほど視線を移すと、東浦町の衣ヶ浦の藤江越し跡碑がある。亀崎のすぐ北の衣浦大橋ができるまでは、ここから対岸の吉浜まで渡し船が出ていた。この辺りは、明治時代まで塩づくりがされていた塩田地帯。東浦の塩は古くから知られ、重宝されていたそうだ。

当時に想いを馳せてみる。現在、私が暮らしている熱田の宮宿のお隣り、鳴海宿から大府を通り、緒川へと向う。境川沿いに師崎街道を歩くと、低湿地に塩田が広がって、その向こうに川をはさみ、先には西三河が見える。海に近づくと、その突端に小高い岬の港町、亀崎がにぎわっている。周辺には干潟があって、生息する生きものを獲るために、千鳥や鷺などの野鳥も、干潟にやってきていたかもしれない。そんな風景を想像した。

亀崎を歩いていると、そこここに「亀崎十景」という立札が立っている。たとえば北浦坂の立札には「北浦烟雨」という題で「濛濛連極浦/稍稍濕漁蓑/午寒魚不出/網裏落花多」という五言絶句が書かれている。読み下し文は、「濛濛極浦に連なり/稍稍漁蓑を湿らす/午寒くして、魚出でず/網裏、落花多し」。意訳も一緒に書かれており、「遠くの水辺まで雨が暗く垂れ込め、だんだんと漁師の服を濡らす。昼でも寒く魚は潜んだまま。網の中にはいっぱいの花」という内容と分かる。いくつかの立札を読みながら、かつては景勝地だったことが分かり、漢詩の作者に興味が湧いた。立札の端には「作者 浅野醒堂(一八五七~一九三四)」と記されていた。<下に続く>

 

 

「天白渓観察会」のお知らせ

名古屋市東部には丘陵地があり、雑木林が広い範囲で残っています。第一回目となる「天白渓観察会」では、まずは歩いてみて、地形を知り、どのような木が生えているのか観察します。雑木林の春の花を観察したい方は、是非、ご参加ください。(写真は、3月撮影)

〇日程/2025年4月29日(火・祝)

〇時間/10:00集合~12:00頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/観察場所は、名古屋市天白区の雑木林です。集合場所は、参加のご連絡を頂いた方に、後日お知らせします。 地図はこちら

〇費用/無料

〇その他/トイレはありません。森の道を歩きます。途中ぬかるんでいる場所などもありますので、歩きやすい靴でお越しください。4月ですが、すでにやぶ蚊が飛んでいる可能性がありますので、念のため、対策をお願いします。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

お申込みはこちら

 

4月・5月の観察会スケジュール

4月の観察会スケジュールが決まりました。6日に予定していました喬木村「阿島祭り」訪問は、都合により、本年は中止します。5月には、季節の観察会としては初めてとなる「初夏」をテーマとした観察会を予定しています。野歩きが心地よい季節、是非、ご都合の良い日にご参加ください。

 

<4月の観察会スケジュール>

「第26回 西味鋺観察会」

日時:4/19(土) 10:00~12:00

場所:北区・西味鋺コミュニティセンター

◇名古屋市北区で開催している「西味鋺観察会」。今回は、矢田川・水辺の広場周辺の春を観察します。

※参加を希望される方は、mail(at)hanayasuribooks.com(相地透)までご連絡ください。

 

「天白渓観察会 1」

日時:4/29(火・祝) 10:00~12:00

場所:天白区・八事裏山

◇名古屋市内では、「熱田の鳴く虫さんぽ」「西味鋺観察会」に続き、3か所目の観察会となります。市内東部に広がる丘陵地の雑木林を歩きます。

内容の詳細はこちら

 

<5月の観察会スケジュール>

「海浜植物の花をみる」

日時:5/6(火・祝) 13:30~15:30

場所:常滑市小林町

◇今年も、浜辺に花の咲く季節がやってきます。毎年観察をしているこの浜には、海浜植物が数多く自生しています。初夏のこの時期は、ハマヒルガオをはじめとする花が咲きそろう季節。海風を感じながら、草花、木の花と、やってくる昆虫を観察します。

※4月中旬に内容の詳細を掲載します。

 

「第9回 椋鳩十を読む会」

日時:5/17(土) 13:00~16:30

場所:昭和区・昭和生涯学習センター視聴覚室

◇奇数月第三土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。今回の課題図書は、ツバメのお話「あらしをこえて」。「椋鳩十の小鳥物語」(理論社)に収録されています。また、ピアノに合わせて、少し長めに歌の練習をします。

※4月下旬に内容の詳細を掲載します。

 

「初夏の観察会」

日時:5/25(日) 13:30~15:30 ※時間変更の場合あり

場所:武豊町・自然公園

◇5月のこの時期は、自然公園の生きものが、にぎやかな季節。新美南吉の作品にも登場するハルゼミの音や、夏の到来を告げるホトトギスの音を聞きながら、雑木林を散策します。

※5月上旬に内容の詳細を掲載します。

 

 

SCENE in the pen. 082

“Camellia’s path”

The camellia flowers were still in bloom on the spring wooded path. Camellias bloom in winter. They paint the winter forests a bright red. Camellia flowers scattered along the forest paths tell us that winter is over and spring has arrived. [March 2025]

Camellia japonica

知多半島の雑木林を歩いていると、必ずと言ってよいほど、ヤブツバキと出会います。冬に赤い花を咲かせて、春が近づくと、花ごとぼとっと落ちます。

 

「春の観察会」のお知らせ

今年の「春の観察会」は、南知多町・内海で行います。南知多町・町民グラウンドを起点に、内海の山と海を観察して歩きます。コースは町民グラウンドから、植物などを観察しながら、内海四天王像の一つ、広目天の石像がある城山と、オガタマノキのある神明社を目指します。その後、引き返し、春の海風を感じながら海岸を散策します。約3キロほどの行程です。全行程を歩くのが不安な方は、部分的な参加も可能です。(写真は、座頭畑の海岸。1月撮影)

〇日程/2025年3月23日(日)

〇時間/13:30集合~16:00頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/南知多町・町民グラウンド(町民会館) 地図はこちら

※自動車の場合は、町民グラウンド駐車場にお越しください。南知多ICから国道247号を目指していただき、国道を美浜町方面に向かうと、右側に、学校跡地の町民グランド(町民会館)があります(「内海南浜田」交差点から1分)。電車の場合は、最寄りが「内海」駅になります。12:51着の電車でお越しいただけましたら迎えに行きますので、その旨お知らせください。駅からは車で4分ほどです。

〇費用/無料

〇その他/観察会の前に、昼食をとられる方は、各自ご用意ください。トイレは同じ敷地内の町民会館図書室にあります。長い距離(約3キロ)を歩きながらの観察となります。歩きやすい靴でお越しください。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

終了しました。ご参加いただきありがとうございました。

 

集まったアカガエルの鳴き声

今日、3月9日は、観察会「アカガエルのたまごをみる」でした。暖かな日差しのもと、冬眠から目覚めたアカガエルの声や、ウグイスの声が野に響き、ツクシやオオイヌノフグリを見つけ、春の到来が感じられる観察会となりました。

さて、アカガエルのたまごは、たくさん出ていました。開催地である奥田の田の卵塊数は、64(調査日=3/6)でした。今年は、例年と比較すると12~2月の降水量が圧倒的に少なかったため(今年=32.0 mm、過去3年間の平均=153.0 mm)、十分な雨水が田に溜まらず、初見日が3/4までずれこみました(過去3年の初見日は、2022年=2/15、2023年=2/14、2024年=2/22)。

一方、もう一か所の観察地、布土の田では、卵塊数は103(調査日=3/6)を数えました。卵塊の中には、卵割が進んだものもありました。ここには、水を湛えたまま冬を越す田があるので、ほぼ例年通りの時期に産卵し、3月にも再び産卵したのだろうと思います。

最後に、真夜中、産卵のため田に集まったアカガエルの鳴き声を掲載します。この時期にしか聞くことができない、普段とは違ったアカガエルたちの音を、是非一度、聞いてみてください。やわらかい声で、続けて鳴いているのは、アカガエル。高い声で鳴いているのは、シュレーゲルアオガエルです。(録音日=2024年2月22日、22時頃、奥田の田んぼ)

 

 

自然を見る眼

宮本常一(1907~1981)は、現在の周防大島出身の民俗学者である。アカデミズムとは一線を画しながら、フィールドワークを重んじて、日本各地を歩き調査した。写真による記録の有用性にも着目。各地で撮影した写真の枚数は10万枚を超える。「みる」「きく」「あるく」をフィールドワークの基本とし、生涯にわたり、実践し続けた人物である。少し上の世代の民俗学者である柳田国男とともに、一般的にもよく知られていると思う。

宮本常一が53歳のときに書いた、「自然を見る眼」という文章がある。私たちの日々の観察にも通ずる、示唆に富んだこの文章について、自分を重ねて考えてみようと思う。この文章は、平凡社のスタンダードブックス・シリーズ「宮本常一」(2019)に収録されている。25ページほどの長くはない文章なので、是非、探して読んでみてほしい。

書かれたのは、1960年。当時の時代背景を簡単に記しておくと、45年に戦争が終わり、戦後復興の時代を迎える。55年頃から始まる高度経済成長期は、東京オリンピックが開催された64年に折り返し、73年頃まで続く。1960年は、海や河川の水、空気などの汚染による健康被害、いわゆる公害が全国的に表面化し始めた時期。また、カラーテレビが登場し、普及し始めたのも、この頃である。

文章の冒頭で、宮本常一はまず最初に、動物学者であり、大森貝塚の発見者であるモールスの観察を説明する。カラスが日本人の近くに寄ってくることに驚くモールスの話を引きながら、人間はかつて野鳥と仲が良かったことについて考える。地方の文化や伝承、神事、子どもたちが聞く昔話などに目を向けて、いくつかの例示をしながら、人と鳥との関わりを語る。人は親しみを持って鳥と接し、「人間につながるもの」として観察を深めていた。それは鳥に限らず、獣や昆虫、植物に対しても同様だった。翻って現代は、そういった生きものたちが、害虫、害獣といった駆除の対象となり、さらには対象ではない生きものまで、著しい減少を見せ始めていると憂慮する。

そこから60年、時代の進んだ現代に生きる自分の体験に重ねてみると、生きものが著しく減ったという実感は乏しい。つまり、私が観察を始めた頃には、減少しきったのである。「かつては、あそこにいた」という話を基に、四季を通じて同じ場所に通い、「まだ、いる。ある」ことを確認する。当たり前に、人の身近にあったものも、現代では、ある程度場所を知っていないと出会わなくなったのだ。かつて以上に増えたというケースは、あるのだろうか。

減少の背景には、「科学的」が意味することの変容があると、宮本常一は考える。対象を冷徹に見つめ、客観的事実を引き出し、法則や構造を見出すことが科学的なのではない。自然が激減している現状を見て、人間として貴重な何かが、「科学的」という名のもとに失われつつあるのではないか、と憂う。もっと自分自身の方法と努力によって生み出された知識で語られなくてはいけない。そのために、できるだけ自然そのものに多くふれる機会をもたなければならない。古来、人々は、自分たちの生活を取り巻いている自然を見る眼を、こまかに、切実にしていくことで、本質を見極めてきた。

私は文学畑の人間なので、科学的な態度に関しての明快な考えや言葉は、持ち合わせていない。けれども、宮本常一が伝えようとしたことは、よく理解できる。

日本人は、もともと自分で得た知識を大切にしてきた。日本の少年たちの自然観察のするどさにモールスは舌を巻いたそうだ。それが西欧に比しての文化の立ち遅れを取り戻すために、勇み足のような知識の習得を植え付け、資本主義的な経済のシステムがあおりたてている、と嘆く。宮本常一の言葉は、半世紀以上が経った今、どう受けとめられるだろうか。

それでは私はと言えば、身近な自然を考えるための「文学的アプローチ」を「椋鳩十を読む会」で実践している。椋鳩十の書いた物語を読み、自身の体験などと重ねながら、話し合う。観察会とは違った話が聞けて、新鮮な発見がある。自分が知らない時代や環境を知る方たちの話は、フィールドワークを通して得てきた知識とも、よく重なり合うのだ。

観察会では、本来の意味での「科学的アプローチ」を、参加した方たちと実践して行けたらと思っている。まずは自然そのものにふれること。観察地がどこであっても、同じ自然を見る眼で、本質に近づいていきたい。その積み重ねによって、20世紀でも、それ以前でもない、21世紀の自然観が私たちの中に培われると期待して。

 

椋鳩十を読む会・3月

奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今回は、以下の内容で行います。

〇日程/2025年3月15日(土)13:00~16:30

〇場所/昭和生涯学習センター・第2集会室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 昭和生涯学習センターの場所

〇参加費/大人500円、子ども(小学生以下)250円 ※資料代、会場代に使用

〇内容/①話題「4/6の喬木村訪問<阿島祭り>について」 ②歌の練習 ③話題「狐について」 ④課題図書「金色の足あと」

〇備考/・「金色の足あと」は、同タイトルの作品集(理論社)があるほか、「椋鳩十のキツネ物語」(理論社)にも収録されており、いくつかの本で読むことができます。・歌の練習は、これまでの曲をおさらいします。楽譜の無い方は、当日お渡しします。・初めての方もお気軽にご参加ください。

 

終了しました。ご参加いただきありがとうございました。