朝起きてまずすることというのは、そう変わるものではない。たとえば、私は目が悪いので、朝起きてしばらくすると、コンタクトレンズを入れる。歯を磨く、食事をする、着替える、コンタクトレンズを入れるなどと並ぶ、毎朝の習慣の一つに、新聞を読む、がある。
私自身は、新聞との距離感がだいぶ近く、日常的なのだが、最近、読んだニュースによると、30代以下だけでなく、同世代の40代でも新聞から情報を得る人よりも、インターネットから情報を得る人の方が多かった。10代の終わりから20代の前半にかけて、自分が所属する社会に関する情報を一番必要とする時期に、インターネットが発展し始め、ニュースを掲載するサイトが登場した。当時のことを思い出してみると、積極的に新聞をとっていた人は少なかった気がする。ちなみに、SNSから情報を得るという人の割合は、下の世代が、かなり多く、テレビから得るという人の割合は、上の世代が、やや多かった。
もう少し思い出してみると、就職したり、結婚したり、子どもが生まれたり、という生活の変化があった人と会ったときに、「新聞、とってる?」と聞かれたことが何度かあった。大きな生活の変化があると、先の見通しを立てるため、生活に必要なものと削れるものを真剣に考えないといけなくなる。20代だった私たちが、まず、切り詰めることを考える選択肢の一つが、新聞だった。あとから聞くと、「結局とってるよ」という人もいたけれど、社会的な情報はインターネットからとればよい、と考えた人は、かなりの数いたのだろう。
新聞との付き合いを、思い出してみる。子どもの頃から、床に新聞を広げて、スポーツ欄なんかを読んでいて、中学、高校と上がるにつれて、社会面なども読むようになった。大学に進学し、一人暮らしを始めるときも、新聞はとるつもりだった。たまたま、アパートに荷物を運んでいる最中に通りがかった新聞屋さんと、その場で契約した。基本的には3カ月契約。3カ月目が近づくと、集金の人が、「また3カ月お願いできませんかね?」と言って、洗剤やなんやかんやと持ってくる。卒業して、しばらく経ち、そうしたやり取りも面倒になり、半年や一年でとるようになった。
その頃は、新聞を切り抜くことは、今に比べると、ほとんど無かった。あとからまとめて読みたい連載記事くらい。ただ、9・11同時多発テロ、近鉄バッファローズ優勝など印象的な出来事があった日の新聞は、残っている。今は、和紙のことなど、自分が今、考えていることに直接関わる記事。たしかにそうだなと共感したコラム。これまでに知り合った方々が関わっている記事。投稿されたきれいな絵や、小中学生の作文を切り抜くこともある。切り抜くほどでも無いかな、というものは、スマホで撮っておく。
そんな毎日の付き合いである新聞だが、常にしっかり読んでいるのかというと、そんなことは無くて、見出しだけ、ぱっぱと読むだけのこともある。その方が、多いと思う。
学生の頃から、地方新聞も好きだった。友人たちと旅行に出掛けると、朝起きて、旅館のロビーに置いてある、その地域の新聞を読む。一人で読んでいると、旅館の人に声を掛けられて、世間話することもあった。帰省するときには、東京駅でスポーツ新聞を買って、新幹線の中で読んでいたし、新聞は夕刊の方が文化面が充実していることが多いので、アパート近くの駅のキオスクに、80円の夕刊を買いに行っていた時期もあった。仕事を探しているときに、業界紙というものがあることを知り、木材業界の日刊紙に応募したことも、そういえば、あった。
日本の離島についての記事を中心に書いている「離島経済新聞(リトケイ)」に興味を持ったことがあったり、語学学習のために丸善で英字新聞を買ったり、今はフランス在住の日本人が読むタブロイドを読んでいるし、自分はつくづく新聞が好きなのだなと実感する。他の情報媒体がどれだけ発展しても、新聞への信頼が揺らぐことは、今後も無いと思う。
最後に、新聞が好きな人ならきっと楽しめる映画を一つ。「クライマーズ・ハイ」(監督・原田眞人/2008)という、日航機墜落事故を題材にした小説を映画化した作品がある。物語の舞台は1980年代なので、今の時代には、合っていないかもしれないけれど、これは物語。私は、この映画に登場する記者たちの熱量に、頼もしさを覚える。
新聞じゃないとだめなんだ、という人たちが書いて作る。だから、新聞じゃないとだめなんだ、という読者が生まれるのだと思う。