SCENE in the pen. 097

“Ashitaba flower”

In the woods by the sea, Ashitaba grows abundantly. Ashitaba leaves are edible. On islands such as Hachijojima and the Izu islands, it is cultivated and shipped as a vegetable. On this day, many white flowers were in bloom. [October 2025]

Angelica keiskei

 

アシタバは「明日葉」と書きますが、由来は「今日摘んでも明日芽が出ると言われるほど、生命力が強いから」とされます。葉が食用になり、人の生活にも身近な植物です。八丈島や伊豆諸島などでは、野菜として栽培され、出荷されています。

 

「秋の観察会」のお知らせ

武豊町自然公園での「秋の観察会」のお知らせです。10月下旬になると、雑木林の周辺では、ゴンズイ、ノブドウ、スズメウリ、アオツヅラフジなど植物の実の色が目立つようになります。昆虫は、11月末には、すっかり見かけなくなりますが、この時期はまだ活動しています。今回は、雑木林から田んぼまでを歩きながら、チョウやトンボなどの生きもの、木の実、草の実を観察します。(写真は、ハラビロカマキリ。10月撮影)

 

〇日程/2025年10月19日(日)

〇時間/13:30集合~15:30頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/武豊町自然公園・駐車場 地図はこちら

※自動車でお越しの場合は、直接、駐車場にお越しください。名古屋方面からは、知多半島道路「武豊IC」で下りて頂き、インターの信号を右折します。すぐに、「嶋田」の信号を右折します。そのまま道なりにまっすぐ2キロほど進むと、武豊町運動公園があります。「武豊運動公園前」の信号を右折して、しばらく進んでいただき、知多半島道路を渡る高架を越えると、右手に駐車場があります。

※電車でお越しの場合は、最寄りが「富貴」駅になります。13:13着の電車(河和行き、急行)でお越しいただけましたら迎えに行きますので、その旨お知らせください。駅からは、車で7~8分ほどです。

〇費用/無料

〇その他/観察会の前に昼食をとられる方は、各自ご用意ください。トイレは自然公園内の展望広場にあるほか、富貴駅と途中の運動公園駐車場にもあります。長い距離を歩きながらの観察となりますので、歩きやすい靴でお越しください。やぶ蚊がいる場所もありますので、長袖、蚊取り線香など対策をお願いします。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

参加のお申し込みはこちら

 

「天白渓観察会」のお知らせ

名古屋市東部には丘陵地があり、雑木林が広い範囲で残っています。春に続き、2回目となる「天白渓観察会」は、前回と同じように、天白渓の地形を知りながら、ソヨゴの実など雑木林の秋を観察します。(写真は、赤くなり始めたソヨゴの実。9月撮影)

〇日程/2025年10月12日(日) ※雨天中止

〇時間/10:00集合~12:00頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/観察場所は、名古屋市天白区の雑木林です。集合場所は、参加のご連絡を頂いた方に、後日お知らせします。 地図はこちら

〇費用/無料

〇その他/トイレはありません。森の道を歩きます。途中ぬかるんでいる場所などもありますので、歩きやすい靴でお越しください。やぶ蚊が多く飛んでいる場所がありますので、蚊取り線香など対策をお願いします。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

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10月・11月の観察会スケジュール

少しずつですが日中の暑さも和らぎ始め、道端では秋の彩りが見られるようになってきました。10月の観察会のお知らせです。

 

<10月の観察会スケジュール>

「第2回 天白渓観察会」

日時:10/12(日) 10:00~12:00

場所:名古屋市天白区・八事裏山

◇春に開催した天白渓観察会の2回目です。名古屋市内に広く雑木林が残る八事裏山の、秋の様子を観察して歩きます。

内容の詳細はこちら

 

「秋の観察会 in 富貴」

日時:10/19(日) 13:30~15:30

場所:武豊町富貴・武豊自然公園

◇武豊町自然公園での観察会は、今回で4回目となります。自然公園から田んぼまで歩き、雑木林とその周辺の秋の様子を観察します。

内容の詳細はこちら

 

 

<11月の観察会スケジュール>

「第12回 椋鳩十を読む会」

日時:11/15(土) 13:00~16:30

場所:昭和生涯学習センター・美術室

◇奇数月第三土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。11月の課題図書は「底なし谷のカモシカ」です。「椋鳩十のシカ物語」(理論社)に収録されています。「椋鳩十と戦争」(書肆侃侃房)は、第3章を先に送って、第4章から読みます。歌の練習もあります。初めての方も、お気軽にご参加ください。

 

「秋の観察会」

日時:11/22(土) 13:30~15:30

場所:美浜町河和・町民の森(予定)

◇初めての観察地となる美浜町町民の森は、恋の水神社から東に1キロほどの場所にあります。小高い山の山頂を目指しながら、周辺の秋の様子を観察します。※場所は変更になる場合があります。

 

「第29回 西味鋺観察会」

日時:11/29(土) 10:00~12:00

場所:西味鋺コミュニティセンター

◇年内最後の西味鋺観察会は、西八龍社、味鋺神社・護国院、東八龍社の三社をめぐり、木の実を観察します。

※11月の観察会の内容詳細とお申し込みは、10月下旬以降に掲載します。

 

 

伊那谷をめぐる(五) 大鹿村と中央構造線博物館(下)

中央構造線博物館は、手作り感にあふれ、中央構造線や地質という、説明がとても難しいテーマについて、来館者に丁寧に伝えようという工夫がなされていた。

最初に中央構造線の解説があり、衛星写真とともに、各地域ごとの中央構造線について地図に線を引いて説明がされている。中央構造線というと、信州から三河を通って渥美半島まで下り、紀伊半島、四国へ延びている方が印象にあるが、関東にも延びている。諏訪湖、岡谷の辺りから、東へ延びる。群馬の藤岡市には、三波川という川があり、ここが三波川変成帯の由来。埼玉の東松山市あたりから関東平野に入る。そこから先は、茨城の霞ケ浦の方へと延びているようだが、霞ケ浦の北東、那珂湊の方へ向かっているのか、南東の利根川河口の方へ向かっているのか、正確なところは分かっていないようだ。

平面的な地図だけではイメージしづらい大鹿村周辺の地形は、25万分の1の立体地勢図で見ると、よく分かる。地勢図は、長野県全体が立体的に盛り上がっていて、山脈、山地と谷合いの位置関係がよく分かる。北は白馬から諏訪湖までが広い谷だが、この辺りには大町市、安曇野市、松本市がある。地図の中央には、谷の合流点である諏訪湖。諏訪の南東は、八ヶ岳と赤石山脈に挟まれて、甲府盆地があり、富士山の裾野へと谷が続く。諏訪の北東に目を向けると、佐久平があり、新潟方面へ向かってカーブを描きながら、長野市、飯山市へと続いていく。伊那谷は、南西に延びる谷。天龍川が流れ、伊那市、駒ケ根市があり、飯田市の先は三河山地。天龍川沿いの谷のそばを並走している浅い筋が、中央構造線の谷である。

メインの展示室も岩石庭園と同じように中央構造線のラインを引いて分けてある。入口側は、外帯(赤石山脈)の岩石が並べられているので、緑色岩が多い。奥に進むと内帯(伊那山地)の花崗岩などの岩石が並ぶ。最奥の壁には、実際に掘り取った露頭(地質、岩石などが外にあらわれている場所)の標本が展示されていて、見ごたえがあり、実際にフィールドでどのように観察できるのかが分かった。

各展示室が広いわけではないのだが、他所では知ることのできない、地域の博物館ならではの展示なので、ひと通り見終わっても、なかなか館を出る気にならない。それでもキリを付けて外に出たのだが、展示で知った知識をもとに庭園の岩石を見ると、また違って見えてくる。次回は、もっと時間に余裕をもって訪ねようと思った。

博物館の隣りには、ろくべん館という郷土資料館がある。「ろくべん」は、歌舞伎見物などに持参する弁当箱のこと。大鹿村の歌舞伎は、全国的に有名である。こちらでは、大鹿村の歴史や文化、南アルプスの自然調査の歴史などについて、展示がされていた。

大鹿村は、平安時代から年貢として榑木を納めていた。榑木とは、ヒノキやサワラの良材のこと。伊那谷の大森林は、この地域に暮らす人々に恵みをもたらし、いつの世にあっても権力者たちは、大鹿村の豊富で貴重な木材に目を付けて、利用してきた。山の木を伐り出す仕事をする人たちは、杣人と呼ばれ、木は、人力で運び出された。

江戸時代には、豊かな木材を活用する技術を持った、木地師と呼ばれる職人集団がやってきて棲みついた。椋鳩十の「椋」は、この木地師たちの一族である小椋氏から、とられている。かつて伊那谷周辺は広葉樹の森だったが、時代が下るにつれて、早く大量に木材が必要となって、針葉樹が植林されるようになった。現在の針葉樹は植林されたもので、もともとあった針葉樹とはルーツが異なる。広葉樹では、大鹿村は栗の木が多かった。「代知らず」とも呼ばれる丈夫な栗材は、建物の柱や土台、屋根板、火の見やぐら、川の堤など耐久性を必要とするものすべてに用いられた。だが、人々の生活に身近だった栗の木は、今では少なくなり、栗拾いや秋の味覚を楽しむなどの風物誌も、昔語りとなっている。

ろくべん館を出て、大鹿村を流れるもう一つの川、鹿塩川を訪ねた。川は、小渋川よりも石がゴロゴロとしていて、流れが速い。岩をひっくり返すと、ナミカワゲラの幼虫がいた。

鹿塩川の周辺では、国内では珍しい山塩がとれる。日本で岩塩が獲れる場所は一応無いとされている。海沿いの塩田で塩はつくられ、内陸へと運ぶ道は「塩の道」と呼ばれた。大鹿村にもそんな塩の道の一つ、秋葉街道がある。その道中に、山中で塩水が湧き出ている場所があったということなので、偶然とはいえ、不思議なものを感じる。だがそれも、人が生きる場としての自然と考えたら、見つかったことは、必然なのかもしれない。

 

 

伊那谷をめぐる(四) 大鹿村と中央構造線博物館(上)

2025年6月、ずいぶん前から行ってみようと思っていた、大鹿村に行くことにした。大鹿村のことは、鳩十会で「アルプスのキジ」を読んだときに予習した。「アルプスのキジ」は、大鹿村の子どもが、大嵐で小渋川が氾濫してしまい、村にも濁流が押し寄せる中、自分たちが大切に見守っていた巣を守るキジと、キジが抱えていた卵を心配する、というお語。

この日は、梅雨の晴れ間だった。伊那谷に来るときに立ち寄る恵那峡サービスエリアにはツバメがたくさんやってきていた。サービスエリアの建物に巣を掛けて、子育てしている。親ツバメが忙しそうに巣と外を行き来し、ピーピーとにぎやかだった。

飯田インターを通過し、しばらく走ると、右手に、ひと際目立つ山並みが見えてきた。伊那山地の奥で雪をかぶっている、赤石山脈である。大鹿村を流れる二つの川、鹿塩川と小渋川のうち、小渋川の源流は赤石山脈。小渋川は、天竜川水系で一番の荒れ川と言われている。山脈を横目で見ながら、あの近くまで向かうのだなと思うと、気持ちも高揚してきた。

松川インターで降りる。この辺りは以前、椋鳩十記念館・記念図書館の館長、木下さんに連れて来ていただいた場所。喬木村ではゲンジボタルが見られなかったため、木下さんが毎年観察されている、ゲンジボタルの生息地に案内してくださったのだ。そこは、清流ではなく、河岸段丘の段丘崖から水が落ちてくる場所で、周りは田んぼ。以前は、あらわれなかったような場所で、大きくゆっくりと光を明滅させるゲンジボタルを見ながら、場所を変えながら適応し、世代をつないでいるのだなと感心した。

一昨年の印象的な体験を思い出しながら、天竜川を渡り、小渋川沿いを山の奥へと進む。途中、小渋ダムに出る。この辺りは、大きなトラックが出入りしている。広いダムを見ると、まったく水が無い。理由は分からなかったが、今年の深刻な水不足については、すでに報道がされていた。ダムの水が枯渇するほど、雨が降っていなかったのだろうか。その後、山道を走り、いくつかのトンネルを抜けると、大鹿村に到着した。

道の駅で食事をし、小渋川沿いを歩く。川の向こうに赤石岳の白い峰がある。小渋川の水は青い。川を見て、「青い」と思ったのは、美濃和紙の里会館に行く途中、板取川を見たとき以来だろうか。思い出すと、小原和紙のふるさとを訪ねたときに立ち寄った笹戸付近の矢作川もきれいで心地よいと感じたが、青いという印象は持たなかった気がする。深さや水に含まれる成分や透視度、川底の石の種類なども関係するのだろう。川の色については、いろいろ考えてみると、おもしろい気づきがありそうだ。

道の駅から移動して、大鹿村中央構造線博物館に行く。博物館の前には、岩石庭園があり、中央構造線の西側(内帯)と東側(外帯)を構成している石が大鹿村の地質通りに並べられている。簡単にいうと、谷を流れる川を挟んで、伊那山地側が領家変成帯といい、花崗岩が中心の地質。川と新しい集落を含む谷底は、鹿塩マイロナイト(かつては鹿塩片麻岩と呼ばれた)という、地下深くで断層によって岩石が水あめのように流動してできた、いまだ謎が多いが日本を代表する断層岩でできている。ここまでが内帯。中央構造線を挟み、南アルプス側は外帯で、三波川変成帯、秩父帯と地質が変わっていく。外帯を構成する岩は、おもに緑色岩で、その名の通り、緑色をしている。

庭園に並べられた岩々を、じっくりと眺めていると、岩の模様は、それぞれ違って美しく、おもしろい。だが、岩石ができるまでを、山から海に至る川の流れや森の遷移のように、イメージを描いて理解するのは難しい。動く時間が、途方もなくゆっくりだからだろう。

たとえば、153と番号がふられた、マイロナイトには、「断層深部で、再結晶による細粒多結晶化により延びるように変形。原岩の鉱物のうち再結晶しにくい長石が斑点状に残存したマイロナイト」と説明書きがある。原岩は、「トーナル岩(花崗岩類)」となっている。「再結晶作用」についてブリタニカ国際大百科事典の記述は、「固体のままで岩石中で新しい結晶が生じる現象。この現象は温度、圧力の外的条件が変化したとき、もとの岩石中の鉱物が不安定になり、新しい鉱物(結晶)が成長することによって起る。(中略)多くの場合、岩石は再結晶作用によって鉱物の粒径が大きくなり、ある鉱物が特定の方位に向くようになる」。なんとなくしか理解できていないが、これらの岩の複雑で美しい模様は、大地の成分のダイナミックな変化によって生まれた、ということは、分かった。〈下に続く〉

 

 

伊那谷をめぐる(三) 飯田市のこと 

遠山郷は、かつての上村と南信濃村からなり、現在の行政区分でいうと飯田市に入る。遠山郷が編入した2005年の市町村合併の結果、飯田市は、東西にかけて、南アルプス・聖岳、遠山郷のある遠山川の谷あい、伊那山地、天竜川と両岸の河岸段丘、風越山のある中央アルプス・木曽山脈までを含む、広大な市域となった。

飯田市では、南信教育事務所飯田事務所が主催して、年に数回、研修講座「赤門スクール」を開催している。この講座は、伊那谷の自然、文学、文化、歴史などについて学ぶもので、椋鳩十の講座をされている菅沼さんに声を掛けていただいた。2023年の講座「椋鳩十 戦後の活躍」では、双葉社が発行していた「讀切特撰集」に物語を掲載していた頃の事情、2024年の講座「椋鳩十と読書運動」では、鹿児島県立図書館長に就任した経緯や「母と子の20分間読書」を普及させるための奔走がよく分かり、とても勉強になった。

想い出してみると、2022年の秋、喬木村の福祉センターをお借りして、名古屋から人が集まって開催した講演会では「椋鳩十と戦争」をテーマにお話していただいた。その後も毎年夏に記念館の2階で開催される講座は、訪ねるのが楽しみである。学生時代、熱心だった詩作と詩集「駿馬」についての考察「若き日の椋鳩十」。ハイジやツルゲーネフなど青春時代に親しんだ海外の文学作品が、どのように処女作「山窩調」につながっていったかについての考察「椋鳩十 若き日の読書」。ともに深く考えさせられる講座だった。

私は、自然から表現することを大切にした文学者と彼らが生きた地域に寄り添った文学研究が、もっと普遍的になされてほしいと思う。そして、その地域に現在、暮らしている人たちが、彼らが生きて暮らしていた地域に、今、自分が暮らしていることを、楽しく、誇らしく思えると良いなと思う。文学に興味があって、学芸員や文学研究者を目指す人たちには、ぜひ菅沼さんの講座を聞いてほしい。

赤門スクールや記念館を訪ねる前には、飯田の特色を知ることができそうな場所に立ち寄ることが多い。2024年10月、訪ねたのは、竹佐の杵原学校。映画のロケ地にもなった懐かしさの漂う木造校舎で、1980(昭和60)年まで使われていた。春になると、満開の枝垂れ桜を見に、人が訪ねる場所なのだが、この日は、小雨ということもあり、寂しい雰囲気だった。きれいに磨かれた板張りの廊下を歩きながら、中庭を眺める。信州の人は、学校という場所をとても大切にしていると感じる。以前、椋鳩十記念図書館の本棚に、信州の学校について書かれた分厚い本があったので、手に取ってみたのだが、県内各地の小学校について、開校当時からの沿革などが、写真とともに説明されていた。子どもたちが通う学校は、地域コミュニティにおいて、もっとも考慮されるべき中心施設。昨今の学校にまつわる報道などを思い出しながら、そのことを、もう一度、みんなで考えないといけないと感じた。

12月には、下久堅の和紙の里を訪ねた。長野で和紙の里というと、飯山市の内山紙がよく知られている。県内には、ほかにも数か所、和紙の里があり、下久堅もその一つ。飯田の紙は、元結(髷などを結うための紙紐)の紙として評判だった。落語の大ネタ「文七元結」は、江戸に元結を売りに来ていた飯田の商人・桜井文七がモデルになった噺。明治に入り、元結の需要が減ってからも、水引や障子紙など商品を変えながら、冬の閑農期の副業として、下久堅では全村で紙漉きに携わった。原材料となるコウゾは、遠山郷など近隣地域から、峠を越えて運んでいたそうだ。現在は、保存会の方が中心となって、技術を継承しており、近隣の小学校の子どもたちは、卒業証書の紙を自分たちで漉くそうである。

和紙産業は、地域の自然の産物を活かしながら、使われる材料すべてが植物由来であるため、土に返すことができる。土地の特徴を活かして、産物の異なる近隣地域をつなぐこともできる。自然の循環を活かした産業として、再び発展していくとよいなと思う。

阿島祭りに行く前に寄った座光寺のしだれ桜の前では、たくさんの人たちが記念写真を撮っていた。旧座光寺麻績学校校舎は、県内最古の木造校舎で、歌舞伎舞台を備えている。麻績という名前から、かつて麻布を織っていた人たちがいたのだろうかと考える。上郷の考古博物館は、縄文・弥生・古墳時代などの遺跡が集まっている地域にあり、古代の飯田について考えられる場所だが、訪問した日は、残念ながら時間が足りず、展示を見ることができなかった。また、ゆっくり時間をかけて、再訪したい。

 

 

SCENE in the pen. 096

“The season of red berries”

September has arrived, yet the intense summer heat persists. Emerging from the woods where spider webs abounded, I found red berries growing. From autumn to winter, many plants bear red berries, but few have berries that split open to reveal black seeds. As autumn deepens, the leaves of this tree turn crimson and take on a leather-like texture. [September 2025]

Euscaphis japonica

 

雑木林から出てくると、ゴンズイの実がなっていました。赤い実が裂けて、黒い種が出てきています。ゴンズイの葉は紅葉するとレザーのような質感になります。

 

伊那谷をめぐる(二) 鳩十会と遠山郷

「椋鳩十を読む会(以下、鳩十会)」は、名古屋の昭和生涯学習センターで開催している読書会である。2023年、喬木村にゲンジボタルを見に行った頃、熱田では「椋鳩十が描いた世界と命の連帯」というテーマで、3カ月連続のワークショップを開催していた。このワークショップは、最初から3回と決めていたのだが、終わって、「椋鳩十の作品を継続的に読んでいく会があると、楽しく勉強になるだろう」という考えが芽生えた。というわけで、11月に準備会を開催。翌年1月から本格的に読み始めた。

鳩十会で読むのは、基本的には、伊那谷が舞台となっている物語。椋鳩十というと一般的には鹿児島の作家という印象がある。けれども、幼少時から高校までを過ごした伊那谷での体験は、作家・椋鳩十の自然観の礎である。まずは、伊那谷という土地を知りながら、そこに生きる動物たちや、人々の生活がよく分かる作品を、毎回、選んでいる。

これまでに登場した生きものは、ツキノワグマ、シジュウカラ、キジ、クマバチ、遠山犬、カイツブリ、キツネなど。少年期の出来事を題材にした、自伝的物語「にせものの英雄」や喬木村を舞台にした兄妹の物語「ひかり子ちゃんの夕やけ」も一緒に読むことで、椋鳩十が暮らしていた時代の村の生活や、心の交流を知ることができる。

影響を受けた本や詩を通して、当時の文学的な潮流を知ったり、物語の背後に戦争の影を読み取ったり。魅力的な文学者について考えることは、そのまま、自然、地理、風俗や風習、歴史、産業といった人々の生活をとりまく、さまざまな事がらについて思索を巡らせることに発展していく。また、参加してくださっている方々の子どもの頃の体験や、物語に触発されてでてくる記憶や知識などは、毎回、とても楽しく、後日、録音した話し合いの文字起こしをしていると、当日の雰囲気を思い出し、思わず笑みがこぼれてしまう。

遠山郷は、椋鳩十が頻繁に取材に訪れていた場所であり、作品の舞台にもなっている。南アルプスと伊那山地に挟まれた地域で、天竜川の支流、遠山川が流れている。訪ねたのは9月。飯喬道路を走って喬木村に入り、山道を進む。矢筈ダムのそばから、長いトンネルを抜けると、程野という地域に出る。遠山郷がある谷あいは、北へ目を向けると大鹿村、高遠町まで続き、さらにその先に諏訪湖がある。ここは中央構造線という、東は霞ケ浦、西は四国の佐田岬、九州へと続く大断層の上にあたり、その露頭がこの近くにある。

まず訪ねたところは、上村地区にある「上村まつり伝承館 天伯(てんぱこ)」。この地域に伝承される神事、霜月祭りについての展示がされている。夜を徹して行われる湯立てと神楽は、遠山郷の冬の風物誌。館内には祭りで使われる独特な面が飾られていた。霜月祭りに携わっている方が丁寧に説明してくださったのだが、人口の減少や高齢化により、地域に暮らす人だけで伝承し続けるのは難しくなっている地区もあるそうだ。

伝承館の隣りには、この地に務めていた神社の神職である、禰宜(ねぎ)が住んでいた旧家が保存されている。上村は、秋葉街道の宿でもあった。天竜川沿い、南アルプスの南端に位置する秋葉神社をめざす旅人は、その歩をとめて休息した。一階には、囲炉裏があり、二階には養蚕の道具が展示されていて、かつての山あいの暮らしが、そのまま想像できた。

移動して、日本のチロルとも呼ばれる、下栗の里で食事。「このあたりで、蕎麦の花が咲いていると聞いたのですが」とお店の人に尋ねると、夏にジャガイモを収穫したあと、ソバの種を撒くため、もう1~2週間あとだろうとのこと。帰りに、もしかしたら咲いているかも、と教えてもらった畑に寄ってみると、小さな白い花が、さざ波のように咲いていた。畦では、キンエノコロやイネ科の草が、風に棚引き、コマツナギの花も咲いていた。雑木に垂れ下がる、ノブドウの色とりどりの実が、とても濃い色をしていて、きれいだった。

最後に旧木沢小学校を訪ねる。1932(昭和7)年に開校した木造校舎。2000(平成12)年に閉校。現在は、資料館として使われており、学校の古い備品や資料などが展示されている。階段には、褪せた白黒の写真が飾られていて、校庭や集落で遊ぶ、子どもたちが生き生きと写っていた。かつては、たくさんの子どもたちが広い校庭を走り回っていたのだろう。写真を撮った方の優しいまなざしが、伝わってくる。地域がにぎやかだった時代の写真を、ノスタルジーで括ってしまわず、未来への青写真とすることはできないだろうか。そんなことを考えさせる、印象的な写真と出会えたことも、大きな収穫だった。

 

 

伊那谷をめぐる(一) 喬木村の四季

2022年8月、最初に喬木村を訪問し、早いもので、この夏で3年になった。最初に訪問した日のことを想い出してみると、飯田市から阿島橋をわたって、喬木村に入ると、交通量の多い飯田とは違い、静かだった。椋鳩十記念館・記念図書館の裏手にある駐車場に車を止めて、大きな杉が立ち並ぶ八幡神社でおにぎりを食べた。目の前のグラウンドでは、数人の子どもたちと先生がサッカーをしていて、声が響いていた。神社のすぐそばに柿畑があって、この辺りが市田柿の産地であることを思い出した。

10月に、八幡神社からはじまる「椋文学ふれあい散策路」を歩いてみることにした。椋鳩十の言葉「道在雑草中」の碑を見て、小高い山の上にある、とろりんこ公園まで歩く。道の途中には、トチの実が落ちていて、ところどころ鳥の巣箱が掛けてあった。積もった落ち葉を踏むと、ザクザクと音がして心地よかった。この辺りで出会う昆虫は、オツネントンボやアキアカネなど、知多半島で出会う虫と大きく変わらない。自分がいる場所が変わっても、馴染みのある生きものと出会うのは、楽しいものである。

この時期、柿は赤く実っていて、収穫の真っ最中。木の根元には、その場で剝いた皮が堆く積もっていた。夕日が丘公園に向かう道では、農作業をしている方に、「どちらから来たの?」と声を掛けられた。「名古屋です」と応えると、「あら、遠いところから。持って行って」と言って、もいだ柿をいくつかくださった。

椋鳩十が、ハイジを読んで感動とともに発見した、中央アルプスの山並みを眺めると、「わぁ!」と思わず声が漏れた。子どもの頃、遊んだという安養寺の境内は、イチョウの葉が色付いていて、散策路の終点となる生家そばの諏訪社でも、大イチョウの黄葉が見事だった。記念館へと戻る道すがら、お地蔵さんの足元には、サフランの花が咲いていた。

喬木村の春といえば、阿島祭り。フクジュソウが咲く早春が過ぎると、楽しい季節がやってくる。全長15メートルを超す大獅子を30人ほどの若衆たちが曳き回す。獅子は加々須川に架かる橋の上で、舞い踊る。2024年に訪ねたときには、ちょうどツバメがやってきたばかりで、電線にとまり、お囃子に負けじと、ピーピー鳴いていた。遠い旅路を経て辿り着いた喬木村で、巣をかける場所を連絡し合っていたのかもしれないな、と思った。

阿島祭りは、4月第一週の土日に行われる。村内の別の地区でも春祭りが行われ、4月は毎週末、どこかで春祭りがある。村内では第一小学校や、目抜き通りである県道18号沿い、阿島祭りのハイライトである安養寺など、いろんなところで桜が咲いている。八幡神社の桜も毎年きれいで、必ず立ち止まって見上げる。桜だけでなく、芝桜や喇叭水仙、雪柳、桃の花も、祭りを華やかにする。足もとを見れば、白やうす紫のスミレの花。タンポポ、オオイヌノフグリ、コハコベなど、野草の花も、普段は静かな村の春の賑わいに彩りを添える。

5月に九十九谷(くじゅうくたに)森林公園を訪ねた。ここには、クリンソウの群落がある。クリンソウは、サクラソウ科の植物で、段々につける花が、寺の塔の頂上につくられる九輪に似ていることから、その名がある。訪ねたときには、ちょうど見頃の時期で、赤紫やピンク、黄色のクリンソウが木道の整備された林床の湿地に咲いていた。

この辺りは喬木村でも、山あいを実感できる場所である。クリンソウには、オナガアゲハが吸蜜にきていて、湿地や池には、カワトンボが飛んでいた。くりん草園の向かいに九十九谷治山歴史館がある。実際に使われていた小屋で、禿山だった九十九谷が現在のようになるまでの歴史について写真とともに知ることができる。常に開館しているわけではないのが、少し残念である。小屋のそばでは、ダイミョウセセリを見かけた。

喬木村役場沿いに、川が流れている。小川川といい、伊那山地から天竜川に注ぐ。記念図書館には伊那谷の本がたくさんあるので、訪ねると手に取ってみる。あるとき、喬木村の自然について書かれた本を見ていると、ゲンジボタル生息場所の印が小川川に付いていた。それは見てみたいと思い、6月下旬に訪ねた。そよ風を受けながら、川面を眺めていると、カジカガエルの「コロロロッ」と、きれいな鳴き声が聞こえてくる。ゲンジボタルの光には出会えなかったが、夏の夜の喬木村散策は、いいなと思った。秋にはきっと、虫たちがたくさん鳴いているのだろう。秋の夜に、虫の音を聞きに来るのも楽しそうだ。

喬木村では、自然との楽しい出会いが、まだたくさんありそうである。