春日の森の文化博物館の駐車場に着き、車の外に出ると、少し変わった模様の四花弁の白い花が咲いていた。平地では見かけない。なんだろうと思いながら、写真に撮る。駐車場から文化博物館までは少し距離があるが、ところどころで、その花が咲いていた。
真っすぐ奥へと続く、森の文化博物館のアプローチ。ああ、こういう造りだったなと、7年前に来たときのことを思い出す。苔の生える地面には、アプローチに沿って彫刻が置いてある。それらの作品は、春日村出身の彫刻家・藤原市三郎が造ったもの。市三郎は、1919(大正11)年に炭焼き、養蚕、薬草を生業とする両親のもとに生まれ、学校を卒業した後は、岐阜県庁に勤めた。戦争が始まると、野戦郵便隊員としてビルマへ派兵される。当地でイギリス軍の捕虜になるが、ビルマの人々の暮らしや花や動物をハガキに描いて、家族に送った。終戦後は復職するものの、すぐに退職。春日村のお茶・薬草の販売店、看板屋で生計を立てながら芸術の道を歩む。植物の雄しべや雌しべ、蝶や尺取虫の蛹を観察し、その生態からインスピレーションを得て作品づくりをしたという人物である。
椋鳩十作品にも登場する遠山犬や、薩摩犬のように、この地方にも古くから山に生きる日本犬がいた。美濃柴犬といい、やはり猟師たちとともに、ウサギやキジを狩る猟犬として飼育されていたが、戦中の混乱期に食糧難や伝染病の影響で数が激減する。市三郎は、絶滅の危機から美濃柴犬を守るため、自宅で何頭も育てていたそうだ。
柴犬とは少し違う感じの犬の彫刻が玄関のそばにあったので、近くで見ようとアプローチを下りると、苔の地面に、ハナヤスリが生えていた。これはコヒロハハナヤスリだろう。コヒロハハナヤスリと、雑種とされるコハナヤスリとの違いを、もう少し正確に理解しておかないといけないなと思いながらも、またハナヤスリに出会えて嬉しくなる。
館内の展示は、大きく変わっていなかった。ブナの森、村の民話、炭焼き小屋、薬草、そして、お祭り。広い展示室ではないが、村の生活や大切にしてきたものがよく分かる展示である。前回来たときには見落としていたが、鉄を精錬するときに出る不純物の多い塊・鉄滓(てっさい)が見つかっていることから、鋼精錬の技術集団が春日に暮らしていたのではと考えられているそうだ。製鉄には、大量の木炭が必要なので、春日村では炭焼きが発展した。かつては炭焼きの村と称されるほど、炭生産の多い土地だった。
揖斐谷と春日谷のことが分かってくると、自然の材を人の知恵によって活用し、暮らしを豊かにしていた地域なのだなと感心する。土地に生える木で生活用具や道具をつくる。コウゾやミツマタを使い、紙を漉く。養蚕で糸をつくり、機で織って衣服などをつくる。さまざまな野草を薬にする。棚田もあるので、米もつくっていたし、古くは稗や粟もつくっただろう。加えて、狩猟、漁労、採集。鉄は村の暮らしに直結したわけではないかもしれないが、山を知る人々が暮らす土地だったから出来たのだろう。これだけ自然と人の生活をつなげ、活かし、地域での生産がなされている土地は珍しい気がする。
展示を見終わって博物館の職員の方と少しお話したところ、シカが山野草を芽生えから食べてしまうそうだ。「長野でも問題になっています。希少な高山植物が食べられてしまうそうで」と話す。現代の山の問題は、地域を問わない共通性がある。
博物館を出て、アプローチを歩く。そばを粕川の支流が流れているので、水の音がよく聞こえる。歩いていると、いきなり虫が飛び付いてきて、服に止まった。びっくりして見ると、カワゲラである。体が黄色いので、ヤマトカワゲラかなと思ったが、少し様子が違う。帰ってから調べてみると、渓流に生息するフタツメカワゲラの仲間だった。
駐車場に戻り、もう少し植物を観察する。仕事が終わった職員の方がやってきて、何を見ているんですかと話しかけられた。四花弁の白い花のことを聞いてみると、アケボノソウですねと教えてくださった。これだけはシカが食べないから、あちこち生えているそうだ。
最後に、前回来たときに見た太鼓踊りが奉納される六社神社を訪ねた。16時半をまわり、だいぶ暗くなってきて、仰ぐほどの杉の木のもと、幽遠な雰囲気が漂う。石段を上がり、薄暗がりに地面を見ると、またハナヤスリが生えていた。コヒロハハナヤスリでよさそうである。それにしても今日一日で、ハナヤスリの生育地リストが急に増えたなと不思議な気持ちになる。ハナヤスリの調査も兼ねて、またそのうちに訪ねよてみようと思った。
