名古屋、野歩き(三)八事裏山

名古屋市内では、これまでに、西味鋺観察会、熱田と矢田川河川敷での鳴く虫の観察会を開催してきて、少し前から、雑木林でも観察会をしてみようと考えていた。一昨年の冬に初めて訪ねた八事裏山は、2024年に9回、今年に入ってから2回、季節の様子を観察していて、4月29日に一回目の「天白渓観察会」を、無事、終えた。

この日は風が少し強かったが、雑木林の中では、風の強さを感じることは、あまりなかった。生えている木、モチツツジやツクバネウツギなどの木の花など、観察して歩く。クワガタがいたり、大きなナメクジがいたり。小学生の子どもたちは、目に留まったものや、気づいたことを思い思いに言葉にしていて、楽しんでいたようだ。

2歳と3歳のお子さんを連れて、初めて参加してくださったご夫婦は、大府から来られたということだった。「二ツ池の雑木林は、いろんなドングリが拾えますよ。マミズクラゲという淡水に棲むクラゲがいて、夏になると公園の施設で展示されるので、是非、見に行ってみてください」と、暮らしている地域の事柄を伝える。こういったことも、それぞれの地域から人がやってくる、観察会の醍醐味の一つ。3歳のお姉ちゃんは、花や実など、目に留まるものは何でも気になる様子で、赤い実を見つけて拾い上げると、お母さんが用意してくれていた袋に、分けて入れていた。持って帰って、家で分類するのだろう。

裏山の起伏を感じながら、動物園のコアラの餌を育てているユーカリ畑を訪ねて、終了。午前の光がさわやかな雑木林で、ツツドリの「ポポッ、ポポッ」と小鼓を打つような声も聞いて、初夏が始まっていることを感じられる観察会になった。

観察会も含めた、12回の散策では、季節の様子を観察するという目的で訪ねていたので、八事裏山の四季について感じたこと、考えたことを、簡単にまとめておこうと思う。

春。スミレの花が雑木林の道沿いにはたくさん咲く。シハイスミレとタチツボスミレが多い。他にも何種類かある印象。楮の花が咲くのも、春。樹皮の内側、靭皮という柔らかい部分の繊維が和紙の原料になる。山野に自生する種は、ヒメコウゾというそうである。栽培種のコウゾは、ヒメコウゾとカジノキの雑種とされるが、野生化もしている。裏山の楮は、コウゾだろうか、ヒメコウゾだろうか。

夏は、やぶ蚊が、とてもたくさん、あらわれる。天白渓湿地と呼ばれる場所があるので、湿気が多いのだろう。歩いていると水溜りも見かける。だが、両生類、ヤゴなどの水生昆虫など、水辺をライフサイクルの拠り所とする生きものが定着するような豊かな池、水溜まりは見あたらない。裏山の雑木林の水辺が、そうならない理由は、なんだろう。

ほかには、キノコの種類が多いという印象。夏になると木々の花が減るため、足元に視線がいく、ということもあるが、裏山のところどころで、あらわれているキノコが異なり、種数は多そうである。丁寧に調べている時間がないのが残念だけれども、今年は、できるだけ出会ったものを、まとめてみようと思う。変形菌も見つけた。

秋になると、ヤマハギの花が目立つようになる。秋の七草では、ススキも裏山にある。秋に赤い実のなる木では、ノイバラ、ガマズミなどがあったが、印象的なのは、ソヨゴだろう。裏山にはソヨゴの木が多い。ソヨゴは、葉が波打ち、長い柄の先に赤い実をつける。椋鳩十のふるさと喬木村のお祭りでは、サカキではなく、ソヨゴが神事に用いられている。私は、実の付いたソヨゴを見かけると、小舟と船頭を思い浮かべる。どこが人で、どこが櫂で、ということでは無いので、ただ、なんとなくである。見立てるのは、楽しい。

昨年の12月26日。2024年も残り一週間をきり、この日が年内最後の観察に行く日だった。裏山の道には落ち葉が積もる。まだ積もり始めのようで、歩くと「ガサッ、ガサッ」と乾いた心地よい音がする。靴の裏の感触から、雑木林の冬を感じる。見上げれば、澄んだ青空と朽葉の色がきれいである。そこに、ざぁっと風が吹くと、葉が散る。頭上を、ひらひらと葉が舞い落ちる。葉の一枚を目で追う。音も立てず、積もる落ち葉を一枚分、厚くする。雑木林の外では、車の往来する音が聞こえる。年末の忙しない日々の中、裏山に来てよかったと思った。「こっちで花が咲いていますよ」と声が聞こえて、行ってみると、ヒイラギの白い花が、尖った葉に隠れるように、咲いていた。

 

 

椋鳩十を読む会・5月

奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今回は、以下の内容で行います。

〇日程/2025年5月17日(土)13:00~16:30

〇場所/昭和生涯学習センター・視聴覚室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 昭和生涯学習センターの場所

〇参加費/大人500円、子ども(小学生以下)250円 ※資料代、会場代に使用

〇内容/①話題「7月、9月の鳩十会について」 ②歌の練習1 ③課題図書「あらしをこえて」 ④歌の練習2

〇備考/・「あらしをこえて」は、ツバメのお話です。「椋鳩十の小鳥物語」(理論社)に収録されています。・歌の練習は、前半・後半に分けて、これまでに覚えた曲と新しい曲を歌います。楽譜の無い方は、当日お渡しします。・初めての方もお気軽にご参加ください。

 

 

観察会「海浜植物の花をみる」のお知らせ

浜辺が海浜植物の緑でおおわれる季節になってきました。今年も5月恒例の観察会「海浜植物の花をみる」を開催します。観察地である常滑市の海岸は、ハマダイコン、ハマヒルガオ、ハマボウフウ、コウボウムギ、コウボウシバなど海浜植物の貴重な自生地です。それらの花と、そこにやってくる生きものを観察します。(写真は、ハマヒルガオ。4月撮影)

〇日程/2025年5月6日(火・祝)

〇時間/13:30集合~15:30頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/常滑市・名鉄「蒲池」駅前

※自動車の場合は、とこなめ市民交流センター駐車場(地図はこちら)に、車をとめてください。名古屋方面からは、国道155号の「午新田」を右折し、「蒲池駅入口」の信号手前の坂道を、左折して上がってください。駅までは、徒歩3分ほどです。電車の場合は、13:15着の電車があります。

〇費用/無料

〇その他/観察会の前に、昼食をとられる方は、各自ご用意ください。トイレは、駅にあります。歩きやすい靴でお越しください。暑さが予想されますので、日よけ、飲み物などの対策をお願いします。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

※雨天のため開催を中止しました。

 

5月・6月の観察会スケジュール

5月の観察会スケジュールのお知らせです。立夏を過ぎると、生きものの動きは、ますます活発になります。5月は、海と雑木林の初夏の様子を観察します。6月は、ホタルの観察会と磯の生きものの観察会を予定しています。これから夏に向けて、日中の気温が上がっていきます。体調管理に気をつけて、さまざまな場所の自然を観察しましょう。

 

<5月の観察会スケジュール>

「海浜植物の花をみる」

日時:5/6(火・祝) 13:30~15:30

場所:常滑市小林町

◇毎年、立夏前後に観察しているこの浜は、貴重な海浜植物の自生地です。ハマヒルガオをはじめ、花が多く咲くこの季節に、海風を感じながら、草花、木の花、そこにやってくる昆虫などを観察します。

 

「第9回 椋鳩十を読む会」

日時:5/17(土) 13:00~16:30

場所:昭和区・昭和生涯学習センター視聴覚室

◇奇数月第三土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。今回の課題図書は、ツバメのお話「あらしをこえて」。「椋鳩十の小鳥物語」(理論社)に収録されています。また、ピアノに合わせて、少し長めに歌の練習をします。

 

「初夏の観察会」

日時:5/25(日) 13:30~15:30 ※時間変更の場合あり

場所:武豊町・自然公園

◇5月は、自然公園の生きものが、にぎやかな季節。新美南吉の作品にも登場するハルゼミの音や、夏の到来を告げるホトトギスの音を聞きながら、雑木林を散策します。

 

 

<6月の観察会スケジュール>

「ヘイケボタルの観察会」

日時:6/7(土) 18:30~20:30

場所:美浜町(※予定)

◇ヘイケボタルは、田んぼなどにあらわれて、人の生活にとても身近なホタルでした。近年、知多半島では、その自生地が激減しています。まだ残る、ヘイケボタルのいる田んぼを観察します。今年はヒメボタルの観察会はお休みです。

 

「磯の生きものをみる」

日時:6/15(日) 13:30~15:30

場所:南知多町・つぶてヶ浦

◇2年ぶりに、磯の観察会を開催します。干潮時にあらわれる岩礁や、タイドプールの生きものを観察します。

 

「第27回西味鋺観察会」

日時:6/21(土) 10:00~12:00

場所:西味鋺コミュニティセンター

◇矢田川・水辺の広場で、水生昆虫など生きものの観察をします。

※6月の観察会の詳細は、5月下旬以降に掲載します。

 

SCENE in the pen. 085

“Sea hare”

The beach was low tide and reefs were appearing. There were no crabs or small fish yet, probably because it was early in the season. There was a sea hare under the surface of the churning water. When it senses danger, it spouts a lot of purple liquid to blind its enemies. At this time, it appeared as laid back as a cow resting on a pasture. [April 2025]

Aplysia kurodai

 

潮が引いてあらわれた岩礁にいた、アメフラシ。刺激すると、目をくらますために紫色の液体を出します。たまごは、黄色く細い麺状の卵塊で、夏場に岩礁を歩いていると見かけます。

 

SCENE in the pen. 084

“White dead-nettle”

When I’ve visited to the temple located in the forests of Minami-chita, there were flowers of the white dead-nettles in the bushes under the cliff. In Japanese, they are called “Odoriko-so”. Odoriko means dancers. [April 2025]

Lamium album var. barbatum

 

雑木林に自生するオドリコソウ。街中でもよく見かける春の野草、ヒメオドリコソウよりも明らかに植物自体も花も大きいです。

 

藤江の南吉、設楽の南吉(下)

新東名高速道路を走り、新城インターを降りて、豊川沿いに設楽町を目指す。途中からは支流の海老川沿いの方が、道路が整っており、そちらに進む。天気は晴れていたので、鳳来寺山方面へ向かう道路は、車が多かった。周囲の山を見ると、木々の新芽の淡い色合いがきれいで、そのあいだに、山桜のうす紅色が入る。パッチワークのような景色を横目に見ながら、トンネルをくぐる。抜けると、道路はふたたび、豊川と交わる。この辺りから、田峯(だみね)地区になる。郵便局のそばから、山道に入り、植林された杉の木に囲まれた山道を進む。ぐねぐねとした山道を走りながら、この道で合っているのだろうか、という一抹の不安が生まれ出したとき、空が明るく開けて、茶畑のある集落にたどり着いた。

田峯は、豊川の水源地である段戸山に包まれた地域。古くから茶葉を生産しており、田峯茶として販売されている。「だみねテラス」という休憩所に車を止めて、食事をする。郷土館まではもうすぐなので、駐車場の目の前にある田峰観音を歩いてみることにした。

少し急な石段を上って行くと、杉の大木があり、樹皮をコケや地衣類が覆っている。濃淡のある緑や、青灰色のまらだ模様を眺めていると、糸の塊のようなものが付着していた。サルオガセだった。標高が高めの森の木に着生する地衣類で、知多半島をめぐっていても、見かけることは無い。そんなところからも、普段観察している場所とは、環境が異なることを実感する。木の根元には、とうが立たったフキが、たくさん花を咲かせていた。

石段を上りきると、右手に寄棟の屋根の舞台が目に入った。田峰観音には「雪を降らせた観音様」という伝承があり、例大祭では、田楽とともに地狂言が奉納されるそうだ。さらに奥に行くと、入母屋の休み処がある。中に入ると、狂言や歌舞伎が描かれた、絵馬や額が所狭しとかけられている。見上げると、格天井になっていて、色褪せてはいたが、美しい花鳥画が描かれていた。目を奪われて、しばらくの間、佇む。美術館では見ることができない、土地に寄り添った芸術の美を見上げながら、地域の文化を後世に繋いでいくことの意味を想った。どのように残し、伝えていくのか。

田峯地区をあとにする前、閉校になったばかりの小学校に立ち寄った。近くの田んぼには水が張られて、強い風で水面が揺れている。田んぼからは、シュレーゲルアオガエルのコロコロとした声が聞こえた。ほかのカエルたちの声も混ざっている。静かな山の小学校に春を告げていた。小川沿いのヒメコブシは満開で、強風を受けて桃色の花びらが、閃いていた。

奥三河郷土館に到着する。曲線の屋根がきれいな、明るい木造の資料館だった。エントランスから、二階に上がると「南吉のあるいたしたら」のパネル展示がされていた。かつて豊橋と設楽を結んでいた豊橋鉄道・田口線のこと。鳳来寺山賢居院に滞在した時に作った、17の俳句のこと。塩津温泉を舞台に書かれた未完の小説「山の中」のこと。「山の中」の執筆についての苦悩を友人にあてて書いた手紙も展示されていた。物語の描写をもとに、南吉がたどっただろう道のりが、地図に線で示されているので、とても分かりやすい。山あいの駅を降りて、集落を散策しながら山奥の温泉を訪ねる、そんな南吉の姿が浮かび上がってくる。それにしても、地図を残しておくこと、写真を残しておくことは、とても大事だと実感する。暮らしている土地への想いのこもった眼と、地道な取り組みが、後世に文化をつないでいくのだろうと、ここでも感じた。

馴染みの無い奥三河の山中にいても、南吉の自然に寄り添う姿は変わらない。俳句には、兜虫、蝉時雨、葱の花、赤蟻、黄金虫といった言葉が並ぶ。そして、普段は出会うことができない声に感動したのだろう、仏法僧の句は、7つ作っていた。展示の終わりに、「山の中」の一節が紹介されていた。「蛍が渓流のこちらにも、底のあたりにも、向うの岸と思われる闇にも光っている。飛びながら光るのもあれば、じっとすわっている光もある」。ゲンジボタルは、今でも渓流の上を光りながら舞うのだろうか。

企画展示を見終わった後は、奥三河の自然や歴史、文化について、たくさんの収蔵品が並べられた、見ごたえのある常設展示を見て、郷土館を出た。せっかく来たので、隣接する道の駅にも立ち寄る。美味しそうだな、と思って手に取ったカレー粉の製造元を見ると、「名古屋市北区西味鋺」と書いてあった。地域は人の縁でつながる。

 

 

藤江の南吉、設楽の南吉(上)

この半年ほど、半田を訪ねることがあると、近所に南吉の記念碑を見つけることが多かった。たとえば、かつてはカブトビールの工場だった、半田赤レンガ建物のそばには、住吉神社と、宮池という池がある。池のほとりには、「一年生たちとひよめ」に登場する、カイツブリ(ひよめ)の歌の碑が立てられている。亀崎を訪ねたときには、神前神社の春祭りである潮干祭で、海の中に山車を曳き下ろす会場となる浜のそばに、「煙の好きな若君の話」の碑を見つけた。ほかにもあって、半田市は南吉の町なのだなと、あらためて実感する。

2月に東浦町の中央図書館を訪ねた。目的は、南吉が学生(半田中学)時代の友人である久米常民にあてた手紙についてまとめた本、「南吉さんから常民さんへ 六通の手紙」を読むため。郷土資料は、その土地に行かなければ読むことが出来ないことも多い。だが、訪ねる時間はかかっても、図書館には地域ごとの特色があらわれるので、その土地に暮らしている人たちが、どのようなことを大切にしているのかが少し分かり、それもまた楽しい。

久米常民は、東浦町藤江出身の国文学者である。万葉集の誦詠歌としての性格を追求することを研究の柱とした。また、江戸時代の僧、良寛の歌を注釈した。南吉の日記には四年時に初めて名前が登場する。六通の手紙の内容からも、良き友人でありながら、同じように文学の道を先に見る、良きライバルでもあったことが分かる。

南吉は、16歳の4月に、常民の住む藤江の村を童謡で描いている。「藤江の村は/遠いだナ/藤江の村は/坂ばかり/坂から坂へ/白い道/段々下って/行ったらナ、/小さな家が/あるばかり、/お背戸にむくれん/花ばかり。/藤江の村は/小いだナ」。坂の多い村に咲く木蓮の花。のんびりとした春の風景が浮かんでくる。

半田中学を卒業し、二人は疎遠になっていくが、心の抽斗には、若き日に文学論を交わし合った想い出が、ずっと、しまわれていたのだろう。後年、久米常民は、南吉の創作活動の素晴らしさを認めて、このように語っている。「筆者は、文学の研究が、その創作と同じ意義と価値をもつようにさせたいと願ってきた。その念願は、まだ遂げられているとは言えない。(中略)筆者は文学の研究で、まだ少しがんばってみるぞ。(中略)君とライバル関係はまだ終わっていないぞと叫びたい気持ちでいっぱいである」。

この本は、郷土の本ではあるが、東浦町中央図書館ホームページにある「よむらび電子図書館」にアクセスすると、誰でも読むことができる。レイアウトやデザインもきれいで、読んでいて楽しい本なので、もう少し手に入りやすいとよいなあと思う。

4月4日。暦では、清明となる日。辞書によると「清明」の意味は、「清く明らかなこと。また、そのさま」とあり、二十四節気としての意味合いでは、「このころ、天地がすがすがしく明るい空気に満ちるという」(デジタル大辞泉より)とのことである。名古屋の桜は、この日、満開になった。家の前のスミレも、紫の花が満開だ。土曜日の西味鋺観察会では、新地蔵川の水面をツバメが飛んでいた。身の回りの自然の変化を丁寧に観察していると、昔から使われている言葉の意味が、生活に馴染んでくる。

この日は、足を伸ばして、奥三河の設楽町まで行くことにした。三河山地の山あいの土地は、「奥三河」と呼ばれ、大まかに三川の水系からなる。「三河」の由来にもなっている、矢作川と豊川(もう一つは、乙川とされる)。そして、静岡の遠州灘へと流れる天竜川。同じ地域ではあるが、この三川に沿って、文化や自然の様子が変わる。例としては、奥三河の民俗芸能である、花祭を伝承する土地は、天竜川水系だけなのだそうだ。

奥三河の北は、飯田市や喬木村のある南信州の伊那谷。伊那谷へと続く路は、三河では伊那街道と呼ばれる。伊那谷では、三河へと続く路なので、三州街道と呼ばれる。同じ路ではあるが、人々の生活に合わせて、名前が変化する。

設楽町の手前には、新城市があり、信仰の山でもある鳳来寺山が聳える。「ぶっぽうそう」と鳴くことで知られる猛禽類、コノハズクの生息地でもある。南吉は、1938(昭和13)年、25歳の時、勤め始めたばかりの安城高等女学校の研修で、夏の10日間、鳳来寺山賢居院に滞在した。今年の2月から、奥三河郷土資料館では「南吉のあるいたしたら」という企画展示がされていて、終わる前に、観に行くことにしたのだった。<下に続く>

 

 

SCENE in the pen. 083

“Spring snow”

In March there is snow in the fields and on the street. Thunberg’s meadowsweet has many small and white flowers on its branches. They are beautiful, like snow falling out of season. Most of ones we see are planted, but the native ones grow along the banks of mountain streams. [March 2025]

Spiraea thunbergii

 

街路や公園にも植えられており、春になると白い花が咲くユキヤナギ。雑木林と隣接する公園などでよく見かけます。ホシミスジの食草の一つです。

 

漢字と風景(下)

話は一旦、丈山苑を訪ねた日に戻る。

安城市の丈山苑をあとにして、油ヶ淵を見ながら、車を碧南方面へと走らせる。目的地は藤井達吉現代美術館。常設展示は、第4期で「いただきます! 収穫の秋」をテーマに、ゆず、やまいも、柿といった秋を代表する収穫物の墨画などが展示されていた。

二階では、藤井達吉を敬愛し、碧南に縁のある作家の方々による作品が展示されていたので、上がっていくと、受付に座っていた方に、「どこでこの展示を知られましたか?」と声をかけられた。「藤井達吉が好きで、一階の常設展示を見に来たんです」と応えると、「私の父は藤井先生の弟子だったんです」とおっしゃる。この方のお父さんは、小原村の研究会で指導を受けており、子どもの眼に先生は、にこにこ笑って気のいい好々爺だったそうだ。「作品を見ていると、とても丁寧に自然を見ていたのだなと、よく分かります」と伝えると、「父が話していたのですが、夜寝ていると急に先生に起こされたそうです。『こんな良い月が出ているのになんで寝てるんだ!』って」と、笑いながら、エピソードを教えてくださった。いつでも身近な自然の変化を観察し、その美しさを敏感に感じ取っていたのだろう。

さて、前述の「やまいも」の墨画には達吉による歌が書き込んである。「や末非東駕 も傳来て久連し い母乃な駕左餘 面都羅し美尓川ゝ い久日見傳を理(山人が 持て来てくれし 芋の長さよ 珍らし見につつ 幾日見てをり)」。

達吉は歌や言葉を作品に書き入れることがよくあり、墨画だけでなく、絵巻、色紙などの作品も数多く残している。1500点近い作品を所蔵する愛知県美術館には、それらの絵巻、色紙が所蔵されている。通常の変体仮名だけでなく、独自の変体仮名も用いて書いているため、時間はかかりながらも、読み下しはかなり進んでいるそうだ。それらの題は、絵巻「和紙漉込」、絵巻「はるの野路」など、自然の風景や藤井達吉らしい言葉が並んでいるので、いつか展覧会で大きく展示していただけると、とても嬉しい。

達吉が影響を受けた色紙は、継色紙と呼ばれる古筆。ブリタニカ国際大百科事典によると「もとは白、紫、藍、黄、茶などに染めた料紙を粘葉装にした冊子であったが、1906年に1首ずつ分割されて現在の形になった。色紙を2枚継ぎ合せたような見開きの2ページに短歌1首を散らし書きにしているのでこの名がある」というもので、平安時代の能書家である小野道風(894~966)が書いたとされるが、確証はないそうだ。

春日井市は小野道風ゆかりの地である。11月上旬、春日井文化フォーラムで開催していた展覧会「金子みすゞの詩 100年の時を越えて」を観たあと、時間があったので、春日井市道風記念館に立ち寄った。小野道風というと、「柳に跳び付く蛙」の話がよく知られている。柳の枝へ何回もあきらめずに跳び、とうとう柳に跳び付いた蛙を見て、あきらめずに努力すれば、自分も書の道で大成できると気づいた、という逸話だが、江戸時代に創作された話だろうと考えられている。二階の展示室では、市内の小中学生の書道展が開かれており、自分にはとても書けないだろう、きれいな楷書の文字が書かれた半紙が、部屋いっぱいに展示されていた。ほのかに墨の匂いがして、懐かしく、心地よかった。

平安時代は、中国由来の漢字による文化から発展し、日本独自のかな書きによる文化を築いていこうという気運が生まれ、道風は和様の書を創始して、最前線で文化をけん引していく。和様の書は、藤原佐理、藤原行成へと受け継がれ、以降の書道に大きな影響を与えた。

万葉の時代は、身近な自然の様子に心を重ねて、純粋で素朴な歌が数多く作られていた。しかしまだ、かな文字が無かったため、漢字(万葉仮名)で書き残した。平安時代になり、文字はより言葉を使う人々に寄り添うようになるが、歌自体は技巧が先行し、自然との関りは薄らぐ。道風はどのような自然観で、書の道を歩んでいたのだろうか。

亀崎の風景を漢詩にした浅野醒堂は、江戸末期、尾張国に生まれた漢学者で、明治から昭和のはじめまで、愛知師範学校(現在の愛知教育大学)で漢文、書道を教えていた。漢詩人としては、全国的に認められる存在だったという。また、小野道風の顕彰活動にもかかわっていたそうだ。さらにその生まれた場所が、七里の渡しのそばにあった熱田旧浜御殿屋敷というのも興味深い話だが、浅野醒堂についての詳しい話は、また別の機会に。