「知多半島をめぐる」写真販売

本日より4週間の期間限定で「知多半島をめぐる」の写真を販売します。次回写真展(2025年1月24~28日)後は、新しい写真の販売となりますので、この機会に是非、購入をご検討いただけますと幸いです。

〇販売期間/2024年11月22日(金)~2024年12月20日(金) ※終了しました。

〇販売内容/「知多半島をめぐる 2022冬~2024春」の写真、全120点

〇写真仕様/B4 正寸(257mm × 364mm)・インクジェット印刷・竹和紙

〇写真代金/1点につき、13,000円(プリントのみ)

〇額を購入される場合/1点につき、5,500円

〇送料/プリントのみ1点の場合、840円 額装1点の場合、1,270円 ※定形外郵便+簡易書留の料金となります。2点以上ご注文される場合は、注文確認メールでお知らせします。

〇備考/期間中はプリント枚数を制限せずに販売します。

 

―ご注文からお届けまで—

①「ポートフォリオ」内「NEW PHOTOS 2024 vol.1~3」より写真をお選びいただき、フォームよりご注文ください。

ポートフォリオはこちら

②フォーム送信後、数日以内に書肆花鑢より注文確認メールを送らせて頂きます。

③メールが届きましたら、注文内容に間違いが無いかご確認いただき、指定の振込口座に代金をお支払いください。

④お振込み後、注文確認メールに、発送先ご住所とお電話番号をご返信ください。

⑤販売期間終了後、制作します。写真のお届けは、来年1月下旬になります。

 

「冬の観察会」のお知らせ

年内最後の観察会のお知らせです。毎年12月に開催する「冬の観察会」は、これまで大谷、蒲池、大井、植大と毎年場所を変えて冬の野の様子を観察しています。今年は、美浜町・奥田の田んぼ周辺を歩いて、木の実や花を探します。また、この場所は、2025年最初の観察会「アカガエルのたまごをみる」の開催地でもあります。田んぼ周辺を観察しながら、アカガエルの冬眠についても考えます。(写真はマンリョウの実。12月撮影)

〇日程/2024年12月8日(日)

〇時間/13:30集合~15:30頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/美浜町・恋の水神社駐車場 地図はこちら

※自動車の場合は、「恋の水神社」駐車場にお越しください。知多半島道路「美浜IC」を出て5分ほどです。電車の場合は、最寄りが「知多奥田」駅になります。13:13着の列車でお越しいただけましたら迎えに行きますので、その旨お知らせください。駅からは車で3分ほどです。

〇費用/無料

〇その他/観察会の前に、昼食をとられる方は、各自ご用意ください。トイレは神社にあります。田んぼ道を歩きますので、汚れてもよい歩きやすい靴でお越しください。寒さが予想されますので、防寒対策をお願いします。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

終了しました。ご参加いただきありがとうございました。

 

写真販売のお知らせ

来年、1月24日(金)より5日間、名古屋市昭和区の「ガルリ ラペ」にて、写真展を開催します。展示する写真はまだ決まっていませんが、すべて未発表のもので構成する予定です。

写真展に先立ち、11月22日(金)よりポートフォリオ掲載の写真を販売します。対象は、ポートフォリオに掲載している「NEW PHOTOS 2024 VOL.1~3」の写真全点です。注文方法と販売までの流れにつきましては、8日(金)終了の「知多半島をめぐる―序―」の注文販売のページをご参照ください。期間は年内、12月20日(金)までを予定しています。

相地透「ポートフォリオ」はこちら

「知多半島をめぐる―序―」の注文販売(参考)

写真展後は、新しい写真の販売となりますので、この機会に購入をご検討いただけますと幸いです。お問い合わせは、「お問い合わせフォーム」よりご連絡いただくか、mail(at)hanayasuribooks.com(相地透宛)にお願い致します。

 

三つの琅玕(下)

かつて東京に琅玕洞という画廊があった。つくったのは彫刻家である高村光太郎で、実弟が経営した。日本で初めての近代的な商業画廊だったが、経営が上手く行かず一年で閉店。しかし、実際には経営者と場所が替わり、20年以上存続していた。そして、経営が移って以降、より深く関わった芸術家の一人が、碧南出身の工芸家・藤井達吉である。

10月の終わり。瀬戸市で、ある現代美術のイベントがあり、藤井達吉の「無風庵」が公開されていると知り、観に行った。無風庵は小原村から移築された工房である。急な坂を上った小高い山の上に、茅葺きの庵はあった。縁側から覗くと、六畳間が二つつながっていて、片方の畳は外され、美術家によって、珪砂の山が築かれていた。部屋に上がる。天井はきれいな竹組で、奥の小さなふすまに、藤井達吉の墨画を見つけた。一枚は、野山の風景。あとの二枚は、野の花。花の一つは、キク科の花の綿毛だろうか。もう一枚は考えてみるが分からない。少し褪せてはいたが、素朴な絵で楽しい。土間の展示ケースには、きのこの掛け軸、七宝焼き、陶器の皿、花瓶、達吉が実際に使っていた画具が飾られていた。展示スタッフの方に聞くと、普段は一般公開されていないため、地元の方も訪ねてきているそうだが、藤井達吉の名は、よく知られている、ということでは無さそうだ。

瀬戸に行く前に、碧南市にある藤井達吉現代美術館を訪ねた。今年に入ってから、2回目の訪問。地元の秋祭りと重なって、美術館付近の道は、人でにぎわっていた。入館無料の日だったからか、館内も前回来たときより人の数が多い。2階の企画展示「没後100年 富岡鉄斎」を観覧して、1階に下りてくる。階段下では、藤井達吉翁像が笑顔で座っている。最奥の展示室に入ると、藤井達吉の年表が掲げてあり、作品が展示されていた。

コレクション展示は、第3期で、展示テーマは「自然へのまなざし」だった。一点ずつ、ゆっくり観ていく。森に生える羊歯の様子を描いた屏風絵「ぜんまい」。雑木林の林床には、シダがよく茂っているところがある。近くに小川があり、湿気があるような場所では、オシダの葉がこの絵のような様子で生えている。人が歩きやすい道よりも、少し森に踏み入ったところ。この絵のモデルとなった場所も、あまり人が立ち入らない森の中と思えるが、森に行くのが好きだったのだろうか。

知人の茶室の天井画として描かれた草木の花。全部で36枚あるが、そのうち5枚が展示されていた。春に来館したときに購入した「藤井達吉の全貌」展図録(2013)によると、植物図鑑と照らし合わせて、一点一点、植物の名前を調べ、だいぶ種名が判明したそうだ。そのうちの一枚、印象的な青い花のシラネアオイは、美術館のモニュメントとしても使用されることになった。よく目を惹く、素敵な図柄だと思う。

「羊歯文書棚」と題された棚も、おもしろい。高さが1メートル、幅が40センチ、奥行きが70センチほどの木の書棚全体をシダが包んでいる。眺めていると、シダの葉の統一された模様に目が離せなくなる。シダの葉が備える形体の美は、写真を撮っていても、楽しい。雑木林を観察していると、花の重なり合いや木の枝の絡み合いなど、偶然の美、規則的な並びでは無い部分に、美を感じることが多いのだが、シダは規則的である。そこに木々の間からこぼれた光があたると、また、美しい。規則的な美は、人工物だけの領分ではなく、自然の中にも整った美があることを分かりやすく実感するのが、シダなのだ。

後日、「藤井達吉の全貌」に付属していた、自筆自叙伝「矢作堤」を読んだ。原本は1961年の大晦日から、62年の新春、そして同年2月に書かれた散文である。81歳の達吉が人生を振り返って、誤字も気にせず、筆の向くままに言葉を綴っている。最後の方では当時の社会や、科学の発展について、憂いをもった言葉が続いていた。

「人間が政事だ、宗教だ、芸術だ、化学だといっても、大したことはない。(中略)化学の最後は地球中の生物 植物を絶やす丈けだ、一片の小石を見ても、小草の実を見ても何という自然の力よ、」。化学と科学を分けて書いていないが、言葉は、同時代のレイチェル・カーソンと重なる。62年に「沈黙の春」は発表され、64年に「生と死の妙薬」という邦題で日本でも出版された。カーソンは、この年の4月に亡くなる。藤井達吉の没年月は、同年8月。偶然である。けれども、時代が危機に直面する時、同じような危惧を抱く人たちはいて、普遍的な事柄を感じられたなら、国は関係ないのだろう。そんなことを考えた。

 

 

三つの琅玕(上)

10月下旬の西味鋺観察会。この日は、矢田川河川敷で虫を捕る予定だったのだが、水辺の広場に到着すると、川の水量が減っていて、いつもは川の中を歩かないと行くことができない中洲が、ほとんど繋がっていた。小さい子でも、ちょっと手を貸せば、中洲に渡れる。なかなか無い機会なので、虫捕りから変更し、中洲を観察することにした。

中洲の縁の砂を踏むとゆるめで、足がずぶっと埋まるところもある。中央にいくと、いろいろな色の石が落ちている。上流の瀬戸から流れ着いた陶片も混じっている。荒れた環境だからか、花の大きさが極端に小さいツユクサがあったり、荒れ地に強いタデが数種類あったりと、中洲の様子を観察して歩く。子どもたちは、思いがけず、川の近くに来ることができたので、小魚の群れを思い思いにすくい上げていた。

下流に向かって中洲の先端まで歩いてくると、先にそちらにいた方が、「カワセミがいましたよ」と教えてくれた。カワセミは清流にいると思われることが多いが、市内でもよく見かける。熱田の近くでは、堀川沿いの貯木場跡によくあらわれる。冬がやってきて、水辺を飛ぶカワセミの羽が、きらっと光るのを見つけると、嬉しい。この日は、すぐに飛び去ったようで、残念ながら私は見つけることはできなかった。

さて、カワセミは、漢字では「翡翠」と書く。宝石の「翡翠(ひすい)」は、カワセミの羽の色に似ていることから名前が付けられているのだが、その中でもとりわけ美しいものは「琅玕(ろうかん)」と呼ばれる。なかなか普段、生活をしていて耳にする言葉ではないが、自然を見つめていた文学者や表現者の足跡を調べるなかで、最近、三つの琅玕と出会った。

一つ目は、中勘助の第一詩集。「琅玕」と題されたこの詩集を読んでいると、さまざまな自然の情景が浮かび上がる。中勘助は、海で、野山で、沼のほとりで、田畑で思索を巡らせる。花や虫や鳥であっても、それらのある風景であっても、出会ったことで、言葉にしたいほど心の琴線に触れた自然の姿は、それだけで自分だけの宝石になる。さらに、詩集にすれば、読んだ人とも、そんな美しい石の数々を共有することができる。

二つ目は、金子みすゞについて調べているとき。金子みすゞは、童謡・詩を書いた手帖を数冊、残して亡くなったが、残された手帖の一冊が「琅玕集」である。この中には自分の詩ではなく、金子みすゞ自身が雑誌を通して出会った、さまざまな詩人たちの詩が記されている。書籍化されている(「琅玕集(上・下)」JULA出版局/2005)ので、当時、金子みすゞが宝物のように大切にしていた、詩の数々を現在でも読むことができる。

11月に新美南吉記念館の童話の森で「鳴く虫の観察会」を開催することになり、資料に金子みすゞと巽聖歌の詩を載せることにした。自然によく親しみながら詩を書いていた二人。金子みすゞのコオロギは、昼の月を見て鳴いていたり、ネコに片方の脚をとられてしまったり。巽聖歌は、山から吹き下ろす風の中、鳴いている虫を詩にしている。また、「糸ぎりす」という虫が登場する詩が日記の中にあったので、こちらも載せた。糸ぎりすは、クビキリギスのことだろう。赤い口をしていて、強く噛む。それこそ糸を切るくらいかもしれない。詩に登場する糸ぎりすは、越冬から目覚めるが、農夫たちもまだいない荒れた畑で、食べものを探し、ゆっくりと歩いている。畑の様子を、丁寧に観察しているから生まれる詩だと思う。

新美南吉は二人とは歳が離れているが、金子みすゞと巽聖歌は、ほぼ同世代。みすゞの方が2つだけ年上である。同時期に雑誌に投稿していた二人だが、面識があったかは知られていない。ただ、みすゞは「琅玕集」に聖歌の詩「水口」を記していて、聖歌は日記の住所録に、みすゞの名前と仙崎の住所を記していた。会ったことはなくても、雑誌に掲載された詩を通して、お互いのまなざしに、魅かれあっていたのだろう。

戦争が終わり、聖歌は作品を託された南吉とともに、みすゞのことも気に掛けていた。1954年に聖歌が編集し刊行した「日本幼年童話全集」(河出書房)には、みすゞの詩が10編掲載されている。みすゞは、80年代以降になって、ようやく、稀有な詩人として知られるようになった。73年に逝去した聖歌が、それを知ることはなかったが、きっと亡くなるまで気に掛けていたのではないかと想像する。

同時代の文学者たちに寄り添い、本を編集し、また、詩の楽しさをまだ知らない人たちに伝え続けた巽聖歌。その生涯と人となりを、多くの人に知ってもらいたい。〈下に続く〉

 

 

「秋の観察会 in 小野浦」のお知らせ

春に続き、2回目となる美浜町・小野浦での観察会です。前回は雑木林を歩いて、春の草花と2つのため池を観察しました。今回は日本初の聖書和訳に関わった「山本音吉」が生まれ育った小野浦で、ゆかりの地を数か所巡ります。色づいてきた木の実や、秋の草花の様子も観察します。(写真はタンキリマメの実。10月撮影)

〇日程/2024年11月23日(土・祝)

〇時間/13:30集合~15:30頃、終了予定 ※場合によっては30分ほど延長することもあります。余裕をもってご参加ください。

〇集合場所/美浜町・まちの駅「食と健康の館」 地図はこちら

※自動車の場合は、「食と健康の館」駐車場にお越しください。常滑方面からは、国道247号(常滑街道)沿いに進み、野間崎灯台を過ぎて、1分ほどで着きます。電車の場合は、最寄りが「野間」駅になります。13:16着の電車(内海行き)でお越しいただけましたら迎えに行きますので、その旨お知らせください。駅からは車で6~7分ほどです。

〇費用/無料

〇その他/観察会の前に、昼食をとられる方は、各自ご用意ください。食と健康の館でも食事ができます。トイレは施設内にあります。少し長い距離(約2キロ)を歩きながらの観察となります。歩きやすい靴でお越しください。メモを取る場合は、筆記用具をご用意ください。

★予定の変更など/開催日の前に、予定の変更など、ご連絡をする事があります。その場合は、お申し込みいただいたメールアドレスにご連絡しますので、お手数ですが、当日の前に一度メールをご確認ください。よろしくお願い致します。

 

終了しました。ご参加いただきありがとうございました。

 

椋鳩十を読む会・11月

奇数月第3土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。椋鳩十の文学作品を読み解きながら楽しく活動しています。今回は、以下の内容で行います。

〇日程/2024年11月16日(土)13:00~16:30

〇場所/昭和生涯学習センター・第1集会室

〇アクセス/名古屋市営地下鉄「御器所」駅下車。2番出口を出て、御器所ステーションビルを右折し真っすぐ5分ほど歩くと着きます。有料駐車場有り(1回300円)。

地図はこちら → 昭和生涯学習センターの場所

〇参加費/大人500円、子ども(小学生以下)250円 ※資料代、会場代に使用

〇内容/①来年の本会について ②「母と子の20分読書」について ③遠山郷について ④課題図書「遠山犬トラ」「トラの最期」

〇備考/・「遠山犬トラ」「トラの最期」は「椋鳩十の愛犬物語」(理論社)に収録されています。・椋鳩十が鹿児島県立図書館長時代に推進した「母と子の20分読書」について資料をもとに話し合います。・歌の練習はお休みです。・初めての方もお気軽にご参加ください。

 

 

11月・12月の観察会スケジュール

10月もそろそろ終わりが近づいてきました。早いもので2024年も残すところ2か月となりました。年内の観察会スケジュールが決まりましたので、お知らせします。たくさんのご参加をお待ちしております。

 

「第6回 椋鳩十を読む会」 ※終了しました。

日時:11/16(土) 13:00~17:00

場所:昭和区・昭和生涯学習センター第1集会室

◇奇数月第三土曜日に開催している「椋鳩十を読む会」。今回は「遠山犬トラ」「トラの最期」を読みます。ほかに、「遠山郷について」と「椋鳩十の読書運動」の二つの話題を予定しています。歌の練習はお休みです。

 

「秋の観察会 in 小野浦」 ※終了しました。

日時:11/23(土・祝) 13:30~16:00頃、終了予定

場所:美浜町小野浦周辺

◇春の観察会に続いて、小野浦では二回目の観察会です。今回は秋の自然の様子を観察し、日本で最初の聖書和訳に関わった山本音吉ゆかりの地を訪ねます。

 

「第22回 西味鋺観察会」 ※終了しました。

日時:11/30(土) 10:00~12:00

場所:北区・西味鋺コミュニティセンター

◇名古屋市北区で開催している「西味鋺観察会」。味鋺地区にある3つの神社、「味鋺神社」「西八龍社」「東八龍社」の3社を巡ります。地域の歴史に触れながら、境内に生える樹木を観察して歩きます。「自分たちが暮らす地域でも観察会がしたい」と考えている方がいらっしゃいましたら、是非ご参加ください。

 

「冬の観察会 in 奥田」 ※終了しました。

日時:12/8(日)  13:30~15:30頃終了予定

場所:美浜町奥田・恋の水神社

◇年内最後の観察会です。美浜町奥田の田んぼは、今年最初の観察会「アカガエルのたまごをみる」で訪ねた場所です。雑木林や田んぼの周囲がどのように変化しているのか観察しながら、一年を振り返ります。また、来年2月に産卵にあらわれるアカガエルが、どのように冬を越すのか考えます。

 

 

第四回出版文化を考える会・まとめ

10月19日、第四回目の出版文化を考える会を開催しました。

出版文化を考える会も四回目となり、内容も多岐にわたってきました。第一題は、前回、前々回に続き「文学者を知る」です。5人の文学者を取り上げて、自然を見つめた文学者について知識を深めました。自然を見つめたとひと言に言っても、人それぞれ、アプローチの仕方は異なります。子どもの頃から自然豊かな土地に育ち生涯親しみをもっていた人、近代化する都市から離れて農村部に身を置いた人、全国各地を旅して旅先で出会う自然を表現した人。「農」を考えるというのも身近な自然へのアプローチなのかもしれないと感じました。

第二題では、和紙について話し合いました。和紙を地域の産業として再び見直そうという動きは、各地で少しずつ生まれています。いくつかの新聞記事を読みながら、出版社が担える役割について考えました。

現代の工場では、あらゆる分野で、できるだけ製品を均一にすることが良いとされます。そのため、細かな作業に人の手を加えず、可能な限り自動化することが求められます。一方、手漉き和紙は、手作業が中心で、漉かれた紙、一枚一枚の違いが製品としての価値を持ちます。生産から出荷まで、作業工程にたくさんの人の手を加えることで成立することも、大事な意味を持つと感じました。

第三題では、来年5月に復刊を予定している月刊「はなやすり」について、復刊第一号発行までのスケジュールを確認しました。

資料はこちら→ 第四回の資料はこちら

次回は12月22日(日)の開催を予定しています。「文学者を知る」は、5人分をお話します。もう一題は、「地域の語り部・学芸員」をテーマとする企画案についてお話しする予定です。また、来年2月から2年間、名古屋国際会議場が休場となるため、来年の「出版文化を考える会」の開催についても話し合います。

 

月刊誌、ふたたび

10月6日、秋晴れとなった武豊町自然公園で観察会を開催した。たくさんの生き物と出会うことができて、楽しい観察会だった。この日の会の始まりに、一つ、お知らせをした。月刊「はなやすり」を来年5月に復刊させようと考えている、という内容である。

4月号をもって休刊してから半年間、復刊した方が良いだろうという想いは頭のなかにあったのだが、一方で、もう復刊させなくても良いのではないかという考えもあった。今でも休刊を決めた時に思った、今、考えている大切な事柄は、すべてお伝えした、という気持ちは大きく変わっていない。この半年間、観察会を通して、写真を通して、また、さまざま訪ねた先で、たくさんの人たちと出会った。そうした出会いを繰り返していくうちに、本質的には同じことであっても、形を変えながら何度でも伝え続けるのが、定期刊行誌の役割である、という制作の原点に考えが巡って、想いが帰着した。

毎月楽しみにしてくださり、「また読みます」と言ってくださった方々、これから、どこかで存在を知り、読んでくださる方々。冊子の本質が変わらなくても、そういった方たちの生活は、時々刻々、変化していく。何かの縁あって「はなやすり」と出会った方たちが、日常生活や取り組みのヒントとなる誌面を、また制作していこう、それが出版社のあるべき姿だろう。編集者としての思考の流れをトレースしてみると、そんな感じだと思う。これまでも、大切なお知らせは、まず観察会で、というスタンスだったので、ちょうど休刊から半年となる10月最初の観察会でお伝えすることにした、というわけである。

ただ、そう考えていても、購読者数が見込めないと復刊は難しい。なので、復刊を決める前に、読んでくださる方を増やさないといけない。どれくらいの数が必要かというと、最低でも、500。安定して発行を継続していくためには、700以上が望ましい。復刊のお知らせをして、すぐにそれだけの数が集まることは考えにくいので、来年3月までの半年間、徐々に周知して、購読してくださる方を増やしていけたらと思っている。

復刊後の内容はというと、「6つの編集方針」は、そのまま継続する。ここまでの半年間、自分が訪れた場所や考えていたことは、エッセイにも書いてきたので、自分でもあらためて読み直し、その内容を掘り下げていくつもりである。

もう少し具体的なキーワードを書くと、まずは「自然」「文学」「子どもたちの未来」という大きなテーマがある。「はなやすり」において、それらが重なり合い、響き合っていることはもう、ご承知いただいていると思う。

「自然」は、これまでは、知多半島の自然にまつわる話題と、「ユスリカ」「水」といった個別テーマで、研究・調査をされている先生方に文章を寄せていただいた。これからも自然について、真摯な取り組みをされている方々と、出会っていきたい。観察会レポートは、自然との関わり方の共感を生んでいると思う。これまでに2度開催した観察会報告会も、定期的にできたらよいな、と考えている。

「地域」という視点で考えると、「知多半島」「熱田」それと「伊那谷」というキーワードが浮かび上がる。それらを、その土地を管理する自治体の行政区分で、分けて捉えるのではなく、自然の動きや人の動きに連動した一連の地域という捉え方で考えれば、その周辺の土地や、物理的には遠く離れた土地も、視野に入ってくる。

書肆花鑢が考える「文学」について、より深く知るためには、「椋鳩十を読む会」「出版文化を考える会」などの会に参加していただくことが一番だと思うが、これからの文学を考える入り口となる文章を、ご協力いただき、掲載していきたい。今のところ思い浮かんでいる具体的なキーワードは「椋鳩十」「新美南吉」「巽聖歌」「藤井達吉」などである。

日常エッセイ、詩、絵のコーナーは、編集していても毎回楽しいページである。復刊後もたくさんの人に登場していただき、楽しくにぎやかなページを作っていきたい。

最後に、子どもたちの「未来」については、私は明るいと思っている。そのために、大人の都合ではなく、子どもたちが学び育つ環境に本当に必要なことを考えて、整えていかなくてはいけないだろう。今年の秋、とても長い年月を、信念をもって取り組まれた活動が、大きく結実したニュースが続いた。コツコツと真面目に取り組んできた人々に温かく陽の光が注ぎ、花が咲き、結実する時代。社会は、これから大きく変わっていくはずだ。