2025年6月、ずいぶん前から行ってみようと思っていた、大鹿村に行くことにした。大鹿村のことは、鳩十会で「アルプスのキジ」を読んだときに予習した。「アルプスのキジ」は、大鹿村の子どもが、大嵐で小渋川が氾濫してしまい、村にも濁流が押し寄せる中、自分たちが大切に見守っていた巣を守るキジと、キジが抱えていた卵を心配する、というお語。
この日は、梅雨の晴れ間だった。伊那谷に来るときに立ち寄る恵那峡サービスエリアにはツバメがたくさんやってきていた。サービスエリアの建物に巣を掛けて、子育てしている。親ツバメが忙しそうに巣と外を行き来し、ピーピーとにぎやかだった。
飯田インターを通過し、しばらく走ると、右手に、ひと際目立つ山並みが見えてきた。伊那山地の奥で雪をかぶっている、赤石山脈である。大鹿村を流れる二つの川、鹿塩川と小渋川のうち、小渋川の源流は赤石山脈。小渋川は、天竜川水系で一番の荒れ川と言われている。山脈を横目で見ながら、あの近くまで向かうのだなと思うと、気持ちも高揚してきた。
松川インターで降りる。この辺りは以前、椋鳩十記念館・記念図書館の館長、木下さんに連れて来ていただいた場所。喬木村ではゲンジボタルが見られなかったため、木下さんが毎年観察されている、ゲンジボタルの生息地に案内してくださったのだ。そこは、清流ではなく、河岸段丘の段丘崖から水が落ちてくる場所で、周りは田んぼ。以前は、あらわれなかったような場所で、大きくゆっくりと光を明滅させるゲンジボタルを見ながら、場所を変えながら適応し、世代をつないでいるのだなと感心した。
一昨年の印象的な体験を思い出しながら、天竜川を渡り、小渋川沿いを山の奥へと進む。途中、小渋ダムに出る。この辺りは、大きなトラックが出入りしている。広いダムを見ると、まったく水が無い。理由は分からなかったが、今年の深刻な水不足については、すでに報道がされていた。ダムの水が枯渇するほど、雨が降っていなかったのだろうか。その後、山道を走り、いくつかのトンネルを抜けると、大鹿村に到着した。
道の駅で食事をし、小渋川沿いを歩く。川の向こうに赤石岳の白い峰がある。小渋川の水は青い。川を見て、「青い」と思ったのは、美濃和紙の里会館に行く途中、板取川を見たとき以来だろうか。思い出すと、小原和紙のふるさとを訪ねたときに立ち寄った笹戸付近の矢作川もきれいで心地よいと感じたが、青いという印象は持たなかった気がする。深さや水に含まれる成分や透視度、川底の石の種類なども関係するのだろう。川の色については、いろいろ考えてみると、おもしろい気づきがありそうだ。
道の駅から移動して、大鹿村中央構造線博物館に行く。博物館の前には、岩石庭園があり、中央構造線の西側(内帯)と東側(外帯)を構成している石が大鹿村の地質通りに並べられている。簡単にいうと、谷を流れる川を挟んで、伊那山地側が領家変成帯といい、花崗岩が中心の地質。川と新しい集落を含む谷底は、鹿塩マイロナイト(かつては鹿塩片麻岩と呼ばれた)という、地下深くで断層によって岩石が水あめのように流動してできた、いまだ謎が多いが日本を代表する断層岩でできている。ここまでが内帯。中央構造線を挟み、南アルプス側は外帯で、三波川変成帯、秩父帯と地質が変わっていく。外帯を構成する岩は、おもに緑色岩で、その名の通り、緑色をしている。
庭園に並べられた岩々を、じっくりと眺めていると、岩の模様は、それぞれ違って美しく、おもしろい。だが、岩石ができるまでを、山から海に至る川の流れや森の遷移のように、イメージを描いて理解するのは難しい。動く時間が、途方もなくゆっくりだからだろう。
たとえば、153と番号がふられた、マイロナイトには、「断層深部で、再結晶による細粒多結晶化により延びるように変形。原岩の鉱物のうち再結晶しにくい長石が斑点状に残存したマイロナイト」と説明書きがある。原岩は、「トーナル岩(花崗岩類)」となっている。「再結晶作用」についてブリタニカ国際大百科事典の記述は、「固体のままで岩石中で新しい結晶が生じる現象。この現象は温度、圧力の外的条件が変化したとき、もとの岩石中の鉱物が不安定になり、新しい鉱物(結晶)が成長することによって起る。(中略)多くの場合、岩石は再結晶作用によって鉱物の粒径が大きくなり、ある鉱物が特定の方位に向くようになる」。なんとなくしか理解できていないが、これらの岩の複雑で美しい模様は、大地の成分のダイナミックな変化によって生まれた、ということは、分かった。〈下に続く〉