アカボシゴマダラの夏

アカボシゴマダラという、タテハチョウ科のチョウがいる。もともと大陸の暖かい地域に生息するチョウだが、近年、日本で生息地を拡大している。1998年に神奈川県で確認されて以降、定着。2010年頃からは、関東一円で確認されるようになった。最近では、静岡や愛知、長野など中部地方でも姿が確認されるようになっている。食草はエノキ。エノキは、街道の一里塚に植えられた木でもあり、日本人の生活に身近である。アカボシゴマダラは、かつての旅人たちが長い旅路の足休めに木陰を利用したエノキを、彼らの旅の道しるべにして、関東を起点に時間をかけて南下、北上。辿り着いた地域で定着している。

アカボシゴマダラと最初に出会ったのは、昨年8月22日に天白渓を歩いていたときのことである。この年は、夏の酷暑が厳しく、名古屋では7月後半からほぼ毎日、猛暑日だった。暑さに耐えかねたわけではないだろうが、アカボシゴマダラは地上に落ちて死んでいて、在来のゴマダラチョウには無い、目立つ赤い斑で、それと分かった。

翌月12日には、同じ天白渓の森で、林内を舞っているところに遭遇。目で追っていると、木の葉の上にとまり、ゆっくりと翅を閉じたり開いたりしながら、こちらを伺っていた。すぐには飛び去らなかったので、数枚、写真を撮る。一緒に観察していた方たちと、「大きくてきれいなチョウですね」と、初めての出会いを楽しんだ。

今年7月、知多半島でチョウの写真を撮られている、チョウ撮りとんぼ・宮原一明さんから写真展のご案内をいただき、半田のアイプラザに観に行った。施設内の喫茶スペースに、知多半島で撮影された、ゼフィルス(ミドリシジミの仲間)数種の写真が展示されていて、一つ一つのチョウについて、お話を聞く。ゼフィルスは、生息場所が局所的で、時期もおおむね決まっている。5月に武豊町自然公園で開催した春の観察会では、確認できなかったミドリシジミも、その後、他所のため池付近で確認されたそうだ。ハンノキの様子など、見つかりそうな場所についてお話しながら、あきらめずに探してみるといった粘りが、自分にはもっと必要かもしれない、と思い返す。同時に、まだ出会っていないチョウの存在も知ることできて、新鮮な心持ちになった。

アカボシゴマダラのことは、話題に上った。宮原さんも、今年は特にアカボシゴマダラを見かける回数が増えたそうで、半田市の緑地で、アカボシゴマダラとゴマダラチョウが、同じ樹の幹で吸蜜していたと教えてくださった。「仲良く棲み分けられると良いのですけれどね」と話しながら、ひと時の楽しいチョウ談議を終えて、帰宅した。

ちょうど同じタイミングで、母親から、「池田さんの畑にもアカボシゴマダラが来ていたみたいだよ」と話を聞く。池田さんにお話を聞いてみると、昨年までは来たことが無く、今年が初めてとのこと。畑のある緑区以外でも、熱田でも見かけますよと、教えてもらった。熱田での記憶を振り返ってみると、在来のゴマダラチョウは、これまでに数回、熱田神宮や熱田警察署付近で見かけている。

8月に入り、お盆も明けた17日。椋鳩十研究の第一人者である、菅沼利光さんの夏期講座を聴講するため、喬木村を訪ねた。喬木村の夏も、他所と変わらず、暑い。それでも、喬木村を訪ねると、暑さ以上に気持ちが緩むのはなぜだろう。記念館の周囲は、車や電車など交通の大きな音が無い。騒がしいクマゼミはおらず、アブラゼミのジーーという音が響く。日本の四季が、本来そなえている和かな夏の情緒を、まだ感じられる場所だからかもしれない。

菅沼さんの講座は、椋鳩十の青年期の読書体験が、処女作である「山窩調」に、どのように反映されているのかが内容の中心だった。当時、日本に入ってきたばかりの海外文学からの影響、伊那谷の環境、閉塞感のある時代に対する想いが重なり合い、山の民の物語は出来上がったのでは、というお話は、自分のなかに溶け込み、楽しく勉強になった。

帰り際、記念館の入口を出たところで、アカボシゴマダラを見かけた。2023年には、隣の飯田市で確認されているので、喬木村にも入ってきたのだろう。

二日後、夏休みの参拝客がまだ多い熱田神宮の本殿のそばにも、アカボシゴマダラがやってきていた。急がずに翅を羽ばたかせていたので、ミスジチョウかなと思ったが、砂利の地面に下りると、赤い斑がすぐに見えた。周囲の木々では、ツクツクボウシが鳴き始めていて、酷暑の終わりは見えずとも、季節が進んでいることを教えてくれていた。