新東名高速道路を走り、新城インターを降りて、豊川沿いに設楽町を目指す。途中からは支流の海老川沿いの方が、道路が整っており、そちらに進む。天気は晴れていたので、鳳来寺山方面へ向かう道路は、車が多かった。周囲の山を見ると、木々の新芽の淡い色合いがきれいで、そのあいだに、山桜のうす紅色が入る。パッチワークのような景色を横目に見ながら、トンネルをくぐる。抜けると、道路はふたたび、豊川と交わる。この辺りから、田峯(だみね)地区になる。郵便局のそばから、山道に入り、植林された杉の木に囲まれた山道を進む。ぐねぐねとした山道を走りながら、この道で合っているのだろうか、という一抹の不安が生まれ出したとき、空が明るく開けて、茶畑のある集落にたどり着いた。
田峯は、豊川の水源地である段戸山に包まれた地域。古くから茶葉を生産しており、田峯茶として販売されている。「だみねテラス」という休憩所に車を止めて、食事をする。郷土館まではもうすぐなので、駐車場の目の前にある田峰観音を歩いてみることにした。
少し急な石段を上って行くと、杉の大木があり、樹皮をコケや地衣類が覆っている。濃淡のある緑や、青灰色のまらだ模様を眺めていると、糸の塊のようなものが付着していた。サルオガセだった。標高が高めの森の木に着生する地衣類で、知多半島をめぐっていても、見かけることは無い。そんなところからも、普段観察している場所とは、環境が異なることを実感する。木の根元には、とうが立たったフキが、たくさん花を咲かせていた。
石段を上りきると、右手に寄棟の屋根の舞台が目に入った。田峰観音には「雪を降らせた観音様」という伝承があり、例大祭では、田楽とともに地狂言が奉納されるそうだ。さらに奥に行くと、入母屋の休み処がある。中に入ると、狂言や歌舞伎が描かれた、絵馬や額が所狭しとかけられている。見上げると、格天井になっていて、色褪せてはいたが、美しい花鳥画が描かれていた。目を奪われて、しばらくの間、佇む。美術館では見ることができない、土地に寄り添った芸術の美を見上げながら、地域の文化を後世に繋いでいくことの意味を想った。どのように残し、伝えていくのか。
田峯地区をあとにする前、閉校になったばかりの小学校に立ち寄った。近くの田んぼには水が張られて、強い風で水面が揺れている。田んぼからは、シュレーゲルアオガエルのコロコロとした声が聞こえた。ほかのカエルたちの声も混ざっている。静かな山の小学校に春を告げていた。小川沿いのヒメコブシは満開で、強風を受けて桃色の花びらが、閃いていた。
奥三河郷土館に到着する。曲線の屋根がきれいな、明るい木造の資料館だった。エントランスから、二階に上がると「南吉のあるいたしたら」のパネル展示がされていた。かつて豊橋と設楽を結んでいた豊橋鉄道・田口線のこと。鳳来寺山賢居院に滞在した時に作った、17の俳句のこと。塩津温泉を舞台に書かれた未完の小説「山の中」のこと。「山の中」の執筆についての苦悩を友人にあてて書いた手紙も展示されていた。物語の描写をもとに、南吉がたどっただろう道のりが、地図に線で示されているので、とても分かりやすい。山あいの駅を降りて、集落を散策しながら山奥の温泉を訪ねる、そんな南吉の姿が浮かび上がってくる。それにしても、地図を残しておくこと、写真を残しておくことは、とても大事だと実感する。暮らしている土地への想いのこもった眼と、地道な取り組みが、後世に文化をつないでいくのだろうと、ここでも感じた。
馴染みの無い奥三河の山中にいても、南吉の自然に寄り添う姿は変わらない。俳句には、兜虫、蝉時雨、葱の花、赤蟻、黄金虫といった言葉が並ぶ。そして、普段は出会うことができない声に感動したのだろう、仏法僧の句は、7つ作っていた。展示の終わりに、「山の中」の一節が紹介されていた。「蛍が渓流のこちらにも、底のあたりにも、向うの岸と思われる闇にも光っている。飛びながら光るのもあれば、じっとすわっている光もある」。ゲンジボタルは、今でも渓流の上を光りながら舞うのだろうか。
企画展示を見終わった後は、奥三河の自然や歴史、文化について、たくさんの収蔵品が並べられた、見ごたえのある常設展示を見て、郷土館を出た。せっかく来たので、隣接する道の駅にも立ち寄る。美味しそうだな、と思って手に取ったカレー粉の製造元を見ると、「名古屋市北区西味鋺」と書いてあった。地域は人の縁でつながる。