一年の終わりに

14日に「モンテッソーリ読書会」の準備会を開催した。マリア・モンテッソーリの孫である、マリオ・モンテッソーリが1970年代に行った講演を、アメリカのモンテッソーリ教育の実践者、ポーラ・P・リリヤードが編集した「人間らしき進化のための教育」(ナツメ社)を読むという会である。日本語に翻訳をしたのは、エッセイ「一枚の写真から」にも登場した、教育者・周郷博。さまざまな縁があって、モンテッソーリ教育にまつわる読書会を始めることにしたのだけれども、参加してくださる方と一緒に、丁寧に読み解いていけたらと思う。来年2月22日、第一回が、とても楽しみな準備会だった。

「コスミック・タスク」という言葉がある。これは、マリア・モンテッソーリが大切にしていた概念で、「地球全体のすべてのものがつながっていて、あらゆる生物は互いに関連を持ちながら、自立と調和と秩序という、実に複雑な課題をこなしながら、互いに成長・発達する『コスミックな仕事』をしている」というものである。

子どもは、自分たちが住んでいる土地を知るために、小学校に入ると、まず身近な地域から認識する。その前に、モンテッソーリ幼稚園では、地球誕生から現代に至るまでの時間的な「今」と、広い世界の中で自分が今、暮らしている、「ここ」を教える。広い地球上で自分が今どこに生きているか、環境を認識してから地域の勉強をすると、自分が暮らしている土地と、その先につながる地域を、つながりをもって捉えられそうである。

「コスミック・タスク」という考え方は、今の時代、とても大切だと私は思っていて、準備会でも、新聞記事を使って話した。翌日、話したことを思い出しながら書いたメモは、もう少し整理された文章になったので、参考までに、ここにも書いておこうと思う。

「地球が、あまたある循環の交わりによって成立していると考えてみる。小さな循環。大きな循環。狭い循環。広い循環。どこかで循環の乱れが生じる。その乱れによって、その環境を構成している要素に軋轢が生じる。その構成要素たる生物、植物だけでは、その軋轢を解消することができない。となると、循環の調整者であり、考える能力をもった人類の登場である。他所の循環における余剰物を検討する。両循環での効果を検討して、移動させて良いものを選び、循環構成物の引っ越しを担う。移動させた先で軋轢が解消されれば、環境は正常に保たれる。人類のコスミック・タスクは、軋轢の解消、環境の正常化。それらを、継続することなのだろう」(2025年12月15日)

具体的な何かを説明した言葉ではないので、イメージを描くのは難しいかもしれない。読み直しながら、自分でも、そう思う。準備会での話と重ねてみると、シカが増えて高山植物を食べてしまう状態は、シカの循環と高山植物の循環に軋轢が生じているから。なんとなく伝わるだろうか。もちろん、移動に細心の注意が必要なのは言うまでもないだろう。

23日、新美南吉記念館を訪ねた。来年1月までの企画展示は「絵に描かれた昔の岩滑」。南吉の後輩で日記にも登場する、石垣藤九郎さんが描いた岩滑の絵から、ふるさとの風景を紐解く、地元ならではの展示だった。ふるさとの人たちの南吉への愛情は、みな温かい。

展示では、子どもが世界を捉えていく、南吉の描写が紹介されていた。「かうして子供の外への第一歩が成功する。やがて、家の裏と横の樹木、向ひ側の家、その南にある井戸、更にその南の鍛冶屋、鍛冶屋の筋向ひの煎餅屋、煎餅屋の東の家鴨小屋、それらのものゝ間に通じてゐる、細いのや太いのや、石の多いのや砂の多いのや、草の生えるのや又生えないのや、様々の曲りくねつた道と、子供の世界は飽くことなく拡大されてゆく」(「家」より)。

子どもたちは、自分が生きていく環境を、こうして把握していくのだろう。

 

12月に入る直前、寒さのためか、急に腰を痛めてしまって、予定をキャンセルしないといけなかった。楽しみにしていた予定もあり、残念だったけれど、少し休んだ方がいいということだろうと解釈し、無理せず生活していた。痛めてから数日は、前屈ができず、靴下を履くのも一苦労だったが、2週間ほどで痛みは治まり、今は平気である。

冬になると、腰痛にかぎらず、体調を崩すという人は、案外多いのではないだろうか。新しい年の始まりを元気に迎えられるよう、無理せず、年末年始をお過ごしください。

今年も一年間、エッセイを読んでくださり、ありがとうございました。