奈良に来る少し前に、入江泰吉記念奈良市写真美術館が編纂した「回顧 入江泰吉の仕事」(光村推古院、2015)を読んだ。未発表作品から代表作まで367点の写真が収録されており、写真家の仕事と生涯を辿ることができる、とても良い本だった。その中で「白毫寺村」という地名がたびたび登場し、なんとなく気になっていた。お寺があるのだろうということは分かるが、読み方も分からなかったので、調べてみると「びゃくごうじ」と読む。「白毫」とは、仏の眉間に生える白い巻き毛のことで、仏像では丸いふくらみで表現される。仏教美術では如来と菩薩につく、とのことだった。
新薬師寺を後にして、奈良盆地の東の端を南北に通る「山の辺のみち」を歩く。この道は奈良市から南の天理市、桜井市に至る。その先には万葉のふる里である飛鳥(明日香村)があり、今の時期は古より桜の名所として知られる、吉野の山が連なる。
白毫寺に至るまでの道を歩く。すぐそばの山並みは木々の新緑がパッチワーク状に色が重なり、青空を背景にして、目にやさしい。新緑は日に日に色を変えていくので、この時期にしか、この美しさを楽しむことはできない。白毫寺の集落に入っていく。観光客とも町の人ともすれ違わない、閑かな道。土塀をもつ民家が多く、ところどころ大きく崩れている。そこに新しい住宅も混ざっているため、崩れている壁は目立つ。お寺への看板があらわれたので、指示に従い、道を折れると、先に山を上る石段が見えた。石段に向かって歩いていると、鳥の鳴き声がして、目の前を二羽が過った。止まった民家の瓦屋根を見ると、青い色の羽にえんじ色のお腹。もう一羽は、灰色がかった茶色。イソヒヨドリのつがいだった。
白毫寺は高円山の山麓にある。石段を上った境内からは市街地が一望できた。椿の木が多く、「五色椿」と呼ばれる樹齢450年の木にも花が咲いていた。初夏を思わせるあたたかな陽光。ゆっくりと境内を散策する。小径に並ぶ石仏を眺め、本堂、宝蔵に入った。小一時間いて、立ち去る前に最奥にある万葉歌碑を見に行った。「高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに」。笠金村という人が詠んだ万葉の歌。白毫寺は秋になると萩の花が境内を彩る。この石碑を揮毫したのは国文学者である犬養孝。1200か所にのぼる万葉ゆかりの地を訪ねて歩き、各地の万葉の風土を守ることに生涯をかけた人物だった。
高畑に戻り車を動かして、写真記念館の駐車場に止めた。記念館に入ると、若手写真家の企画展と、入江泰吉の写真を紹介する展示「塔のある風景」の垂れ幕が目に飛び込む。階段を下りて、受付で入館料を支払い、展示室に入る。天井の高い広い展示空間に並ぶ「塔」の写真。写真のサイズは大きく、一点一点がゆとりをもって、展示されている。大仏殿の塔や室生寺の塔。奈良大和路を歩き続けた写真家が、四季折々に向けたまなざしが垣間見える。のんびりと、緩やかに鑑賞の時間が流れていく。若手写真家の企画展示を見て、図書室では棚に並ぶ古今東西たくさんの写真集を手に取る。これだけ写真集が揃う施設は稀である。
一般展示室では地元写真家の方たちが作品を発表していた。住所と名前を書くと、「写真を撮られているんですか?」と聞かれたので、知多半島で写真を撮っていることを話す。展示を見ると、女性のグループで、奈良を中心に写真を撮っているようだ。名古屋とは違う関西らしい商店街の雰囲気や、昨日訪ねた奈良公園の様子が見ていて楽しい。石見の神楽舞の写真を撮っている方もみえたので、自身のテーマをもとに各地で撮影しているのだろう。話しかけてくださった方は、すぐに検索したそうで、新美南吉の話や、詩の話、地域を決めて写真を撮ることなどの話をした。ふと思いついて「いろんなところで、『鹿に注意!』という看板を見たんですけれど、奈良公園以外でも出会うんですか?」と聞いてみると、少し笑いながら「どこにでもいます。春なので今はよく動いていると思います」。生きものとの共存共生を思うが、それだけ看板が多いということは、つまり、シカによる人への被害、経済的な被害も甚大なのだろう。来訪者アンケートを書いて、お礼を言い、部屋を出る。最後に学芸員の方に「in the pen.」を寄贈して、館を出ると、夕方の4時になろうとしていた。
帰りは、山を越えて三重県に至る県道で山添村まで行き、名阪国道に入った。伊賀上野、亀山、鈴鹿、四日市とインターの出口看板を見て、帰宅時で渋滞している伊勢湾岸道路の東海インターで下りる。いつも観察や撮影から帰る時間と同じ時刻に家に着いた。